日本は世界で唯一ユダヤ人がキリスト教を受け入れた土地だったのかもしれない
さらに、始皇帝と徐福は同じ「瀛」で同族である。一説では徐福は「ジョセフ(ヨセフ)」ではないかとされ、史記にあるように、始皇帝は徐福を東海に浮かぶ蓬莱と呼ぶ聖なる島に派遣した。
不死の妙薬を求めたとされているが、不死とは「永遠の生命」で、永遠の生命といえばユダヤ人のイエス・キリストとつながってくる。
紀元前3世紀に、徐福の一団が2度に渡って日本に上陸していたとすれば、彼らは始皇帝と徐福が厳選した選民、つまりヘブル人の集団だったことになる。
徐福の上陸地点とされる所は日本中に存在し、上陸が事実なら「魏志倭人伝」に記された邪馬台国とも無縁ではなくなる。魏志倭人伝は紀元後3世紀に記されたからだ。
元々、日本には熊襲やアイヌに代表される先住民族が住んでいたが、全身に刺青をしていたと魏の遣いは記している。事実、西日本側の琉球民族と、東日本側のアイヌは最近まで刺青の習慣が残されていた。
ヘブル人は「戒律」から刺青を入れないため、徐福たち一行とその子孫も刺青をしたとは思えない。
そこで気になるのが、卑弥呼に邪馬台国の女王として先住民族が一致して向かえたことだ。卑弥呼には一人の男性が付き従っていたが、彼も同族と見ていい。この関係は後の推古女帝と聖徳太子の関係とも似ている。
となると、卑弥呼は徐福の末裔だった可能性が出てくる。魏の遣いは卑弥呼が「鬼道」と似た儀式で預言すると記述し、もしヘブルの儀式であれば預言は当然となる。
一方、記紀には、神武東征の頃、既に奈良にニギハヤヒという王がいて、神武天皇と同じ「璽」を持っていたとある。つまりは同族。これは互いに「三種の神器」の不足分ずつを印として持っていたことを意味し、八咫烏がその仲介をしたとある。
この烏だが、日本では加羅を伽耶と表記すように、烏を「加羅巣」とすれば「伽耶巣」となり、神武天皇は朝鮮半島の伽耶経由で日本列島にやってきた示唆となる。烏は朝鮮半島南端に伽耶を建国させ、その後、神武天皇率いる秦氏を呼び込んだのだ。
その秦氏が秦の始皇帝をルーツとし、徐福も同じ秦の始皇帝の元からやって来た。唯一違うのは、徐福一行が紀元前のユダヤ教徒に対し、秦氏は紀元後の原始キリスト教徒だった点だ。
これによって、秦氏よりも古い祭儀集団だった「物部氏」の正体が何となく見えてくる。
http://askado.web.infoseek.co.jp/column/roman/kako/kodai_02.html
2011年3月7日
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