フルプレテリズムの問題点3


さて「千年間」を非常に長い期間だと捉えますと、今から2千年前に聖徒たちが復活したのに対し(黙示録20:4)、悪者たちは未だに復活していないことになります。何故なら、悪者の復活は千年が終わらない限りは起きないからです(黙示録20:5)。としますと、聖徒と悪者の復活が両方とも同じ時期か、またはほとんど同時期と言えるぐらいに近い間に起こると述べられている箇所(ヨハネ5:28〜29、ダニエル12:2)が上手に読み解けなくなってしまわないでしょうか。

黙示録では、はっきりと信者と不信者の復活に時期に間隙があると述べています。

「そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。」(黙示録20・5)

千年間がたとえ短いとしても、時間差があることを否定できません。

イエスの復活の際に、信者がよみがえったとありますが、不信者についての記述はありません。

「また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。」(マタイ27・52)

さらに、テサロニケの携挙の箇所でも、不信者の復活について触れられていません。

「私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(1テサロニケ4・14-17)

ご指摘の箇所についてですが、

「このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。
善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。」(ヨハネ5・28-29)

「その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。
地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。」(ダニエル12・1-2)

これらの箇所が同時復活を示していると言えないのは、すでに申し上げたとおり、「千年の終わるまでは、生き返らなかった」と、時間差を示す箇所があるからです。

数年もしくは数十年の時間差があったとしても、時間差があることには変わりありません。すると、これらの箇所を文字通り解釈してはならないということになります。

これらの箇所においては「時系列」に重点が置かれているというよりも、「信者と不信者の両方が審判のもとに置かれる」という「一般的な裁き」がテーマであると考えるべきです。

キリストもダニエル書も、まず最初に聖徒の復活が起こり、そののち数千年以上経過してから悪者の復活が起こると述べているようには思えません。どちらのほうでも、明らかに聖徒と悪者の復活が同じ時期に起こるかのように述べられています。しかし、千年の期間が非常に短いと考えれば、聖徒が復活したのちすぐに悪者が復活することになるのですから、キリストとダニエル書の聖句には何もおなしな点がないことになり、この問題が解決できるようになると思うのです。

「千年の終わるまでは、生き返らなかった」という箇所から「同時期」を読み取ることは不可能です。「千年」というタイムスパンを表す言葉を聖霊が無意味に選択されたと思えません。

もし黙示録の「千年」を「同時期」と解釈できるならば「すぐに」という言葉も「千年単位」と解釈できることになってしまい、プレテリズムそのものが崩壊します。

 

 

2018年4月24日



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