サベリウス主義は「父神受苦説」とは異なるのか
Subject: 御教示願い
御多忙中おそれいります。御サイトを拝見し、不明な点があったので2点、お教え願います。
http://www.millnm.net/qanda4/13cpLgojjl9Qs45543.htm
(1)「サベリウス主義」と「父神受苦説」とは別のことであるとされていますが、同じではないのでしょうか?本当に別ものですか?私が調べた範囲では同じことといわれていましたが、これは誤りですか?
(2)「ワンネスでは『神に3つの別々の人格があるわけではなく、単一の人格を持つ唯一神が受肉してイエスとなった。この唯一神はある時は父、ある時は聖霊として自らを現す』とします」とのことですが、「単一の人格を持つ唯一神」というのは旧約聖書で「エロヒーム」(神)とか「ヤハウェ」(主)といわれている存在ですか?あるいは、「受肉」というのは「神のことば」(ロゴス)が肉体をとった出来事といわれるので、「ロゴス」ということもできるのでしょうか?そしてその「唯一神」が「ある時は父、ある時は聖霊として自らを現す」ということなら、これは様態論になりますか?
(1)
Wikipediaでは、次のように説明されています。
In Christianity, Sabellianism in the Eastern church or Patripassianism in the Western church (also known as modalism, modalistic monarchianism, or modal monarchism) is the nontrinitarian or anti-Trinitarian belief that the Heavenly Father, Resurrected Son, and Holy Spirit are three different modes or aspects of one monadic God, as perceived by the believer, rather than three distinct persons within the Godhead-that there are no real or substantial differences among the three, such that there is no substantial identity for the Spirit or the Son.
" such that there is no substantial identity for the Spirit or the Son "
ここで、御霊または御子には実質的なアイデンティティは存在しない、と言われています。つまり、御父にはそれがあると。
これは、単一の神の実質的なアイデンティティは御父であるということを意味します。
しかし、次のようにも言われています。
One author has described Sabellius' teaching thus: "The true question, therefore, turns on this, viz., what is it which constitutes what we name ‘person’ in the Godhead? Is it original, substantial, essential to divinity itself? Or does it belong to and arise from the exhibitions and developments which the divine Being has made of himself to his creatures? The former Sabellius denied; the latter he fully admitted."
つまり、サベリウスは、神の「人格」が、神ご自身にとってオリジナルで、実質的で、実体的であるとは考えておらず、神が被造物に対して行った示しと発展に属し、それから発生するものであると考えていた。
すなわち、御父という「他と区別された特定の人格」へのこだわりはなかったということです。
この趣旨の発言をしたBiblical Repository and Classical Reviewの筆者の見解を採用すると、サベリウス自身の主張は「父神受苦説」とは異なるということになります。
(2)
「これは様態論になりますか?」
はい。
ワンネス神学は様態論です。
2017年6月29日
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