義の呪いはわれわれにとって義務である
職場に傍若無人な人がいてみんな困っているという人から相談を受けたので、その人が正しく裁かれるように祈るようにアドバイスした。
そのとおり実行し、ことあるごとに祈っていたところ、結果が出た。
呪いの祈りは聞かれる。
ただし条件がある。
個人的な恨みで祈らないように。
あくまでも正義がこの地上に実現するように祈ること。
われわれが自分の感情で祈り、相手を私的に裁くと、こちらも裁かれる。
相手に厳しくすると、自分も厳しくされる。
神は、われわれが人に対してどのように振る舞ったかに応じて、われわれにも振る舞われる。
だから、私的な怨念などで呪いをかけると、自分も呪われる。
私は、「天において御心が行われているように、この地上でも行われますように。神の義の裁きがフリーメイソン・イルミナティ、中国に対しても行われますように」と祈るようにしている。
戦争やテロを計画し、実行し、無数の人々を殺して、しかも、それによって金儲けをするような人々は、神の裁きに値する。
だから、神にその裁きを実行し、地上に義が支配するようにしてくださいと祈るのは、不正でもなんでもない。
むしろ、それこそが主の祈りの中心である。
「御名がほめたたえられますように」
「御国が来ますように」
「御心が天で行われるように地上でも行われますように」
これは、神の支配が地上で実現しますように、との願いである。
われわれは、神の支配を地上において拡大するために召された。
だから、悪人の支配を終らせてくださいと祈るのは至極まっとうなことだ。
われわれの周りに悪事を行っている人々がいるならば、できるだけ警告せよ。
警告を聞かない場合には、裁きが下るように祈れ。
神の命令を無視し、悔い改める意思のない者たちは、地上に生きる値がない。
なぜならば、この世界は紀元70年以降、イエス・キリストの王国になったからだ。
われわれの使命は、地上からすべての神の国を破壊しようとする勢力を駆逐することである。
悪魔的な政権があれば、その崩壊を祈らねばならない。
義の呪いはわれわれにとって義務である。
2014年4月29日
ホーム