御言葉に書かれたことを丸ごと信じなければならない


1.

人間には、健康や感情、知性の調子に周期がある。これをバイオリズムという。

私の場合、好調期から低調期に移り変わるときに風邪をひきやすくなる。

https://keisan.casio.jp/exec/system/1231994137

精神的な不調、知性の不調などは、この移行期に訪れることが多い。

2.

先日、あるものをなくしてしまった。大切にしていたものだったので、少し落ち込んだ。

すると、不思議なことに、こちらの精神状態を悟っているかのように、パッシングされたり、幅寄せされたりした。

普段そんなことはないのに。

悪霊はいつも自分の状態を監視していると思った。

弱気になると襲ってくる。

自分に悪霊が働くときは、何か気が弱くなる出来事が起きるときであることが多い。

常に心を一定に保つ訓練が足りないと思った。

3.

ある教会で、悪霊にかなり影響を受けやすい人がいた。

相談に訪れた牧師を殴ったことを自慢するような男だった。

顔つきが殺気を帯びていた。

ある信徒曰く「彼が、先日僕のところに近づいてきてこちらの弱点を指摘した。心の内側をよく知っているかのようだ」と。

私は、経験から、自分の内面の痛いところを突いてくるような人は、だいたい背後に悪霊がいると思っている。

悪霊は、こちらを弱らせるために活動している。

4.

信仰は大きな楯である。

それによって敵が放つ火矢を防ぐことができる。


これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。(エペ6・16)

悪霊は、火のついた矢を放ってくる。

「悪霊なんていない」とか「悪霊について考えるな」とか「話題にするな」というクリスチャンがいたら、その人はクリスチャンではないか、ゾンビのクリスチャンである。

信仰の戦いを戦っているクリスチャンは、みんな悪霊の活動について知っている。

隙あらば心の中に火矢を放って燃え上がらせようとしている悪霊を感じている。

ディプレッション(うつ)について書かれた本を翻訳したことがある。

多くの有名人がうつ病に悩まされていた。

私の印象では、うつ病になる人は「素直すぎる」。

悪霊の攻撃に対して無防備なのである。

否定的な言葉をそのまま飲み込む。

雨が降っているときに「太陽はもう出てこない」と悪霊がささやく言葉をそのまま受け入れる。

私は20代の貴重な時代のほとんどをうつ状態によって無駄にした。

体は健康なのだから、人生はハッピーなはず。

なのに、精神が不安定だったので、いつも憂鬱だった。

クリスチャンはとくに悪霊の攻撃が激しいということを知らなかった。

人間関係の軋轢が、しばしば悪霊によると知らなかった。

信仰による以外にこのような攻撃を防ぐことができないことを知らなかった。

5.

悪霊の一つの現象は、幽霊である。

「幽霊など幻想だ」と思うな。

人によっては一生を幽霊によって台無しにされる人がいる。

幽霊を怖がると、幽霊はさらにいたずらを仕掛けてくる。

人が自分によって振り回されているのを見て喜んでいるのである。

相手と波長を合わせるから、相手の手の内に入るのである。

「怖い、怖い」と思うと、かえって相手を増長させる。

「イエス・キリストの御名によって命じる。悪霊よ、立ち去れ!底知れぬところに行け!」と命じることである。

ただし「疑わないで」行わねばならない。

疑う人は、かえって相手にバカにされて攻撃が激しくなる。

ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」と言ってみた。
そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。
すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ」と言った。
そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押さえつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。(使徒の働き19・13-16)

悪霊追い出しは、「ためしに」やってみるようなことではない。

本気を出して、信仰をかたくもって行うものである。

信仰が弱いままに行うと、かえって症状が悪化する。

6.

会員の中に癒しの賜物を持っておられる方がいる。

祈ってもらったところ、胆石が粉砕された。

CTで撮った画像では大きな石だったものが、MRIで見ると、小さな塊になって散っていた。

疑いのある人は、何も受け取れない。

疑いたくなったら「それでも信じます」と言わねばならない。

それが、神に対する忠実である。

神を主として拝むならば、御言葉に書かれたことを丸ごと信じなければならない。

 

 

2018年7月1日



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