キング・ジェームズ訳とフリーメイソンと王権神授説


ジェームズ1世はフリーメイソンだった。


「スコットランドのパースにある第3ロッジ・スクーン・アンド・パースの西壁には、ジェームズ6世[訳注:イングランドではジェームズ1世]がイニシエーションを受けるために祭壇の前にひざまずいている壁画がある。

1658年12月24日の「壁画の契約」と呼ばれるこのロッジの現存する最古の記録」には、ジェームズが、1601年4月15日に「フリーメイソンとスクーンのロッジのフェロークラフトに加入した」とある。
(D. Crawford Smith and William James Hughan, History of the Ancient Masonic Lodge of Scoon and Perth (Number 3, The Lodge of Scone) Perth: Cowan and Company, 1898))及び('Year Book of the Grand Lodge of Antient Free and Accepted Masons of Scotland 1990,' p.50)

フランシス・ベーコンとキング・ジェームズは、「薔薇十字団の聖書」を作ろうとした。この聖書の初版は、サタンとルシファーの象徴に満ちている。

また、イエス・キリストのメッセージを破壊するために一部のテキストが削除されている。
http://www.youtube.com/watch?v=6KXnf2co4Dc

スコットランドのジェームズ6世(イングランドのジェームズ1世)は、イングランドとスコットランドの両方を統治した最初の王であった。また、フリーメイソンとなった最初の王でもあった。35歳の時、1601年にスクーン・アンド・パースのロッジに加入した。
(自身がフリーメイソンである著者Christopher Knight, "The Hiram Key, p.328")

スコットランドのジェームズ6世は、スコティシュ・テンプラー・フリーメイソンであり、1603年にイングランド王のジェームズ1世としてロンドンに来た時、スコティシュ・テンプラー主義もしくはヤコブ派フリーメイソンを持ち込んだ…。
(Nicholas Hagger, 'The Secret Founding of America - The real Story of Freemasons, Puritans, and the Battle for the New World' p.101)

ニュー・ワールド・オーダーを避けるために、キング・ジェームズ訳に帰れ、という運動はナンセンスである。

キング・ジェームズ訳に関わったジェームズ1世とフランシス・ベーコンがニュー・ワールド・オーダーを求めていたのだから。

ベーコンは、米国を新アトランティスとして建国し、英語をニュー・ワールド・オーダーのための世界共通語にしようとした。

そのためにこの英訳聖書が用いられてきた。

フリーメイソンは、儀式においてキング・ジェームズ訳を用いる。

(2)

Michael H. Brownによるジュネーブ聖書1599年版への序文(1988年)の抜粋要約

ピューリタン、カルヴァン主義者、ジョン・バニヤン、ジョン・ミルトン、1620年にプリマス・ロックに着いたピルグリムたち、当時の著名人が読んだのは、もっぱらジュネーブ聖書であった。これらの人々は、たとえキング・ジェームズ訳が無料で配布されたとしても使用することはなかったであろう。

キング・ジェームズ訳が出るまで、ジェームズ1世自身、ジュネーブ聖書を使用した。出てからは、ジュネーブ聖書に記されているあらゆる知識を拒否した。イーディ教授は次のように述べた。

…[ジェームズ1世は]ジュネーブ聖書やその注に記されているすべての知識を拒否した。これは、…自分自身をその初期のスコットランドの信条から切り離そうとする不格好な試みであった。その目的は、イングランドのクリスチャンたちの好意を勝ち取ることにあった。
(Luther A, Weigle, The English New Testament, P.24.)

ジェームズ1世は、一般人を啓蒙するために聖書を翻訳することに賛成しなかった。その唯一の意図は、ジュネーブ聖書の欄外注を読ませないことにあった。ジュネーブ聖書は、その欄外注のゆえに一般人に人気があった。

キング・ジェームズ訳は、今も昔も国のための出版物であり、それこそが目的なのである。
http://www.reformedreader.org/gbn/igb.htm

キング・ジェームズ訳は、国家権力のための翻訳である。

その理由は、以下のようなものであった。

ジェームズ1世は、「王権神授説」の熱烈な信奉者であった。この思想は、その母親メアリー・スチュワートに授けられた。(Otto J. Scott, James I, Passim)

メアリーは、当時そのイタリア人秘書デイビッド・リッツィオと不倫の関係にあった可能性がある。ジェームズ1世がこの姦淫によって生まれた子であったかもしれない。(G.P.V. Alerigg Jacobean Pageant p.6.)

証拠が十分に挙がったため、メアリーの夫をはじめとするスコットランドの貴族たちは、リッツィオをメアリーの食卓から引きずりだして、ナイフと刀で切り殺し、窓の外に投げ捨てた。(Otto J. Scott, James I, Passim)

メアリーには、ボスウェル公など他にも情夫がいた。後に、夫ヘンリーを火薬による爆発で殺そうとした。ヘンリーは生き延びたが、同じ日の夜に絞殺された。

ジェームズ1世やメアリーのような人々にとって、「王権神授説」はこの世の法廷から逃れる口実となった。王は神から王権を授かったのであるから、神以外のいかなる者にも責任を負わないと。

ジェームズ1世がジュネーブ聖書を嫌った理由は、それが王権神授説を否定したからだ。その欄外注は、ジョン・ノックスやジャン・カルヴァンらの宗教改革の指導者によるものである。
http://www.reformedreader.org/gbn/igb.htm

 

 

2013年11月14日



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