聖書を裁く者が永遠の刑罰を受けないわけがない
このメールの主は、典型的な現代人である。
現代人は、「神の言葉ですら、人間の審判を受けなければならない」と考える。
なぜならば「人間は、万物の主である」という人間教の前提に立っているから。
万物を創造したわけでもない者が、どうして万物の主であり、万物の審判者であり、神の言葉すらジャッジできると考えられるのか。
合法性がまるでない。
現代人は神になった。そのため、呪われている。
現代人は、神や神の言葉すらも評価できると考えているので、呪われている。
彼らは神のライバルであるから、神によって裁かれる。
救われる人とは、神の言葉に対して絶対服従する人である。
神の言葉に絶対服従できないならば、それは、契約のメンバーではない。
神の言葉に文句を言う人は、救いの契約の中に入ることはできない。
たまたま牧師がぼけていてきちんと審査せず、洗礼を許されたとしても、その洗礼は無効になる。
「六日で世界を創造した?そんな馬鹿な!」という人の洗礼は無効である。
だから、永遠の地獄に行く。
神の国に入るには、その国の法秩序に服従の意思を示さねばならない。
日本に居住する外国人は、日本の法律を守ることを誓約しなければならない。
違法行為を働けば、国外追放にされる。
それと同じである。
神の国に入りながら、その法を守ることを拒否するならば、国外追放である。
神の国の外は地獄である。
過失とか出来心ならまだ許されるが、確信犯、革命家は、神の国の中にいることはできない。
聖書を裁く者が、永遠の刑罰を受けないわけがない。
2012年8月9日
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