立場の異なる人々からの情報について
私の基本的な立場は、「そこで、イエスは言われた。『だから、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。』」(マタイ13・52)です。
御使いが裁きの日に善人と悪人を分ける(49節)ように、天の御国の弟子となった学者は、「自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す」権限を持っています。
つまり、語っている相手がどうであるかはもちろん大切ですが、言っている内容が合理的であれば「その部分だけ」取り出すことができます。
そうしないと、学問が成立しません。
学者にはおかしな思想を持っている人もいます。同性愛者や変な性癖を持っている人もいるでしょうが、彼らの行いのゆえにその学説全体を拒否しなければならないならば、非常に知識が限定されてしまいます。
ダヴィンチは、同性愛者でしたが、芸術を生み出すことができました。私たちは彼の作品を「その美的価値ゆえに」受け入れることができます。
クリスチャンには、「聖書的なものと非聖書的なもの」を分ける権限があり、その識別能力を与えられているので、その人の立場を考慮しつつも、学説が正しければそれを受け入れるべきです。
クリスチャンが、ノンクリスチャンからの情報や生産物を一切遮断して生きていけるはずがないので、その部分だけ取り出すしか方法はないように思います。
中丸氏については、以前もここで取り上げましたが、ベンジャミン・フルフォードとの関係があります。
ベンジャミン・フルフォードがどういう人間かは議論がありますが、中丸氏もベンジャミン・フルフォードもクリスチャンではありません。
中丸氏は、輪廻転生を唱えており、私たちはそれを受け入れることはできません。
また、彼女の職歴のスタートがアラビアにおける神秘的な体験に基づいており、聖書に基づいているわけではないので、「自然啓示」を「特別啓示」に優先させるという問題を持っており、知識に関して私たちとは根本的に違う立場です。
天の宇宙的もしくは霊的な存在からのメッセージを重視しており、2012年の年末に3日間の停電があると言いましたが、外れました。
これらの発言から、明らかにニューエイジであって、その意味においてロスチャイルドの陣営に属すると判断できます。
ただし、彼らから派遣されているかどうかはわかりません。
たまたま影響を受けているだけかもしれません。
小林師については、私も個人的に知っており、また、あの本の内容は、K氏という私の友人が小林師のゴーストライターとして書いたと思われる箇所が随所にみられます。小林師とK氏の間には、小林師の書斎の本のかなりの部分をK氏に預けているほどの信頼関係があります。
K氏とは最近は交流がありませんが、一時期は毎日のように電話で情報を交換しておりました。
飛鳥氏については、はっきり言って、こういった裏情報に関する常として、完全には信頼はできません。
こういった情報はその性質から将来において徐々に証明されたり、明らかにされたりするものであって、現時点で完全を期待することはできないと思います。
八咫烏が本当にいるかどうかわかりません。
しかし、それがあり得ると思えるふしが多々あります。
そもそも、私が日猶同祖論関係に携わってから、偶然の一致があまりにも多いのです。
ソースが異なる情報が互いにぴたぴたと一致する体験は何度もあります。
ですから、人から見れば「妄想」と思えるかもしれませんが、だいたい新しい分野を開拓する人はそういう汚名を着せられるものです。
気にしていたら何もできません。
私の原則は、「ソースがどのような人であっても、聖書に反する情報は捨て、反しないならば検討する」です。
2013年4月25日
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