1.
旧約律法において「清めは2度必要であり、2度目に完成する」とある。
その者は三日目と七日目に、汚れをきよめる水で罪の身をきよめ、きよくならなければならない。三日目と七日目に罪の身をきよめないなら、きよくなることはできない。
身のきよい人が、それを汚れた者に三日目と七日目に振りかければ、その者は七日目に、罪をきよめられる。その者は、衣服を洗い、水を浴びる。その者は夕方にはきよくなる。
あなたがたは七日間、宿営の外にとどまれ。あなたがたでも、あなたがたの捕虜でも、人を殺した者、あるいは刺し殺された者に触れた者はだれでも、三日目と七日目に罪の身をきよめなければならない。(民数記19・12、19、31・19)
世界も2度の清めが必要である。
イエスの第一回目の再臨(紀元70年)と、千年王国が終わり、大宣教命令が完成する第二回目の再臨において「全体が清くなる」。
http://www.millnm.net/qanda4/446Pjps7K3jSs19351.htm
第一回目の再臨では「旧約の世界」に審判が下り、第二回目の再臨では「新約の時代」に審判が下る。
世界の諸民族が弟子化され、キリスト教が世界を覆い、今のすべての民族がクリスチャンの民族に変わるまで、御霊はわれわれとともに働き続ける。
これから、世界は徐々にキリスト教の影響は拡大されていくだろう。
聖書に記されている大患難は、第一回目の再臨の前に実現した。
そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。(マタイ24・9)
この預言は「この時代に起きる」とイエスは明言された。つまり、大患難は紀元1世紀に成就した。
まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。(マタイ24・34)
しかし、伝道に患難はつきものであり、われわれは第二の再臨まで戦い続けなければならない。
イエスはすでに「天地の一切の権威はわたしに与えられた」と宣言しておられるので、われわれの戦いは必ず勝利するように運命づけられている。
2.
フルプレテリズムは、第二の再臨を認めない。
紀元70年の再臨において「完全な新天新地」が到来したという。
つまり、われわれが今生きている時代が「完成された世界」だという。
パーシャルプレテリズムは、われわれが生きている時代は「完成された世界」ではなく、「戦いの時代」「千年王国」であるという。
なぜパーシャルプレテリズムが正しいのか。
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙示録21・4)
「完成された世界」には「死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない」からである。
もちろん、われわれはこのような世界には生きていない。
そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。 ・・・
また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。(黙示録20・12-15)
フルプレテリズムはこの最後の審判すらもすでに起きたという。
「悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた」、「死とハデスとは、火の池に投げ込まれ」、「いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた」ということが紀元70年に起きたのだろうか。
では、なぜ、悪魔は働いているのだろうか。なぜ、われわれは死ぬのだろうか。なぜ今われわれの周りに無数の異教徒がいるのか。
彼らは火の池の中にいるのか?
フルプレテリズムの解釈では、死もサタンも異教徒も永遠にこの世界に、今のような状態で存在し続けると結論する以外にはなくなるのである。
パーシャルプレテリズムは、これらのことが、第二の再臨と最後の審判の後に起きると考える。
パーシャルプレテリズムでは、「悪魔は火の池に投げ込まれるので、永遠には活動し続けない」と考える。
しかし、フルプレテリズムでは、「永遠に活動し続ける」と考える。
つまり、「悪の永続性」を唱えることになるのである。
これは、ゾロアスター教やマニ教の「善悪二元論」と同様であり、聖書的ではない。
聖書では「永遠の世界が訪れる前に最後に審判が来る」と教えている。
悪魔は永遠には活動し続けることはなく、惑わしや誘惑が完全になくなる時が来ると。
リフォームドでは、フルプレテリズムは異端として扱われている。
パーシャルプレテリズムだけが正しい終末論である。