失敗した後にすべきこと


ペテロもユダもイエスを裏切った。

ペテロは救われたが、ユダは滅んだ。

なぜか。

ペテロは失敗した後でも神のほうに顔を向けたのに対して、ユダは顔をそむけたまま自殺したからである。

罪を犯すのは人の常である。

クリスチャンも罪を犯す。

問題は、罪を犯した後に、神に顔を向けるかどうかである。

ペテロはもとの道に戻ったのに対して、ユダは戻らなかった。

太平洋のど真ん中で、同じ港を目指す船があるとする。

進路を見失って、もとに戻ろうと努力する船はたどり着く可能性があるが、「どうでもいい」と諦めて目的地に向かうことをやめた船はその可能性はない。

神の法に戻ろうとする人は救いようがあるが、神の法そのものを捨てる人には救いはない。

神の法そのものを捨てる人は、神を主権者として認めていない。

恵みの契約にとどまる条件とは、完璧に律法を守ることではなく、破った後に悔い改めて立ち返ることである。

これは、事故を起こした場合、契約した保険会社に保険適用を申し込む人と申し込まない人にたとえることができる。

神のもとに戻ってきた人には、神に対する損害を補償するための「イエス・キリストによる代償」という名の保険が下りる。

戻ってこない人には、保険は適用されない。

そのため自腹で損失補償するしかない。

神に対する損害は絶対的であるため、永遠に払い切れない。

失敗は誰にでもある。

問題は、そのあとで、神に顔を向けるかどうかである。

 

 

2017年5月2日



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