アルミニウス主義に基づく新改訳3
永遠の昔に私達を選ばれたということは知っていて、分かっているつもりですがこういった、人間が主体の訳を何回も読んでいるといつの間にか「私が」イエスキリストを信仰したから義が与えられた、とすり替わって、私は特別だ、とか自己中心的な思考になっていくかもしれませんね。
誠実に読み、しっかりと心に刻まなければいけませんね。
そのとおりです。
アルミニウス主義が深く浸透していますので、「神を小馬鹿にする」雰囲気が漂っています。
「結局、自分が信じなければ神は救えない」という考えが頭の片隅にあるので「神を利用する」態度になるのだと思います。
徹頭徹尾、終始、神が主導権を取られていると知れば、自分を永遠の昔から愛してくださった神に感謝するようになります。
また、神の、この深遠かつ神秘的かつ厳然とした選びの決定に応えることができるように行動を慎むようにもなります。
ちなみに、「イエス・キリストの信仰」には、
1.イエス・キリストが持っておられた信仰
2.イエス・キリストが与えてくださった信仰
と訳すことができると言いましたが、
「イエス・キリストの信仰によって与えられる義」とは「イエス・キリストが父なる神に対する完全な信仰を持っておられ、それにしたがって人生を歩み、十字架にまで従順にしたがったことによる義」と解釈することもできます。
私は、1の解釈を採用します。
私たちは、イエス・キリストが完全な信仰を持っておられ、それによって得られた義を転嫁されるのです。
2018年5月20日
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