完璧な信仰を獲得して巨大な業を行おう


日本の伝道がなかなか進まず、クリスチャンになる人が少なかったのは、まず、教えが間違っていたこと。そして、信仰が欠けていたことにある。

1.教えが間違っていた。

日本に入ったキリスト教は、古代に入った原始キリスト教を除けば、ことごとく不完全なものであった。

(1)ザビエルは、イエズス会。イエズス会は、グノーシスである。

(2)明治時代のキリスト教は、進化論や社会主義などの異物が混入していた。

19世紀のキリスト教は、イルミナティ・フリーメイソンの啓蒙主義以降の人間教、人間崇拝の半分混じったキリスト教であった。

(3)戦後の福音派は、ディスペンセーショナリズムである。

ディスペンセーショナリズムは、隠れヘーゲル主義であり、これも啓蒙主義の影響によって不純になった教えであった。

再臨は近い、などという、聖書から裏付けられない教えをばらまいた。

(4)最近では、ニューエイジ的キリスト教が入った。

奇跡、癒し、教会成長学、心理学…

まったくイルミナティのニューエイジ運動に影響されたキリスト教が流行った(ている)。

このような異物が混入したキリスト教では力がないのは当然だ。

2.信仰が欠けていた。

日本に入ったキリスト教はいずれもポスト・ミレではなかったので、地上的勝利を確信できない。

「地を従えよ」が中心テーマではなく、「魂の救い」が主要な問題になっている。

魂が救われれば、後は再臨を待つだけでいいと。

すっかり人間が創造された意味を見失った。

だから、地上の支配を、イルミナティなど神の敵に明け渡してしまった。

クリスチャンは、地上を支配するために信仰を与えられたのに。

イエス・キリストが、すでに紀元70年に世界の王になったということを真面目に信じない。

だから、「地上で勝てるか勝てないかは聖書は何も言っていない」というような中途半端な信仰に堕ちた。

今、われわれは再建主義というキリスト教の中心メッセージをストレートに語る正統派の信仰を持っている。

これは、歴史的に見て、非常に重要なことである。

われわれは、少しの隙も作ってはならない。

信仰において少しの陰りもあってはならない。

全身を「信仰の大盾」によって防がねばならない。

そうしないと、サタンが隙を狙ってわれわれの心を崩しにかかる。

われわれが完全な信仰を持っていれば、われわれの祈りは、驚くべき効果をもたらす。

イエスが言われたように「少しも疑わなければ、山を動かすことができる」のである。

いちじくの木がイスラエルを表すので、この場合の「山」は、ローマ帝国のことを指す。

つまり、当時の世界の超大国であったローマ帝国ですら、動かすことができると。

このような巨大な力を持っているのである。

それを発揮できないのは、ひとえに信仰に穴が開いているからである。

穴が開いているボールでバスケットボールの試合ができるだろうか。

バウンドしない。

信仰に穴が開いていると、力が出ないので、周りにどんどん悪霊がやってきて、包囲される。

中には、心の中にまで入ろうとする者もいる。

心の中に入ったら、内部を丸焼けにしようとしている。

われわれの心には、至聖所がある。

至聖所を守らねばならない。

悪魔に至聖所を完全にコントロールされたら、犯罪者になる。

聖霊にコントロールされたら、巨大な働きをする。

歴史的に日本に入ったキリスト教は、欠陥のあるものであった。

信仰に穴をあけるようなものであった。

だから、再建主義の信仰を持つしかないのだ。

あなたの一度限りの貴重な人生を、完璧な信仰によって巨大な業を行うために用いていただきたい。

 

 

2014年8月14日



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