プライドを捨てろ?


よくクリスチャンは、誇りを捨てるべきだという意見を福音派で聞いた。

プライドこそ罪だと。

プライドが罪だなんて聖書のどこに書いてあるのだろうか。

プライドは、人間が神の似姿として創造された非常に貴い性質の一つである。

犬にプライドがあるか。

動物にプライドがないのは、神の似姿ではないからだ。

誰でも自分が人生においてやってきたことにプライドを持っているだろう。

われわれは互いにそれを否定しないというルールを守って生きている。

もし誰かが「あなたのやってきたことに意味はありません。あなたのことを先生と呼ぶ気持ちはありません」と私に向かって言うならば、「ああ、そうですか。あなたは私の生涯と仕事を否定する人ですね。じゃあ、お別れしましょう」と答える。

価値観が異なるのは人間社会において避けられないので、相手がどのような価値観を持とうが相手の勝手であるから、何も要求しない。

ただ、私はそういう不愉快な人間とは付き合う値がないと思うから、そういう人を避ける。

会っても無駄だ。

私の仕事を評価できないなら、このホームページを一切見ないでください。

私は先生という呼称にこだわらない。

ただし、私をあえて先生と呼びたくない、そのように評価したくないというなら、それは、完全に私の仕事を尊重することを拒否するという意志の現れであるから、私はそういう人と友達にもなりたくないし、話もする値がないと思うので、交渉を拒否する。

お互いに自由意思を尊重して、できるだけ摩擦の少ない人生を送るほうがいいだろう。

 

 

2012年5月19日

 

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