中国と韓国で利益を得ようとすることは自殺行為
昭和12年(1937)7月7日、中国・北京郊外の盧溝橋付近に駐屯していた日本軍は、夜間演習を行っていた。
このころ、北京周辺には、かつての清王朝が結んだ条約に基づき、日本だけでなく、アメリカ・イギリス・フランスなど、各国の軍隊が駐留していた。
しかし、日本軍と中国軍のあいだにはとくに緊張感が高まっていた。
というのも、当時、日本軍は、華北つまり北京を中心とする中国北部を支配下に置こうと進出の機会をうかがっていて、中国の反発を招いていたからである。
日本軍の演習地のすぐ近くの永定河(えいていが)の堤防には、中国軍の第29軍が陣地を構えていた。
そして、その夜10時40分ごろ、突然、闇のなかで十数発の銃声が響き渡った。
日本軍と中国軍のあいだで発砲事件が起きたのである。
この時最初に実弾を放ったのは、いったい誰だったのか。
長いあいだ論争がつづいてきた。
『盧溝橋事件の研究』を著している現代史家の秦郁彦さんは次のように語る。
「当時、日本側の公式発表では、堤防にいた中国の第29軍の兵士たちが意図的に発砲したものという発表でした。
その後の60年、いろいろな説が乱れ飛びましたが、現在私が判断しているところでは、結局やはり最初の発表どおり、29軍の兵士だったのではないかと思います。
ただし、これは必ずしも意図的なものとは言えません。
いわゆる、偶発的なものだったのではないかと思います。
しかし、中国側は公式には日本軍が意識的に中国側に攻撃をしかけてきたのだと主張していまして、現在も中国は同じ主張をつづけています」
http://ktymtskz.my.coocan.jp/cabinet/nicyusenso.htm
●これと符合するかの如く、戦後中共軍将校となった経歴をもつ葛西純一は中共軍の「戦士政治課本」の中に、事件は「劉少奇の指揮を受けた一隊が、決死的に中国共産党中央の指示に基づいて実行した」ものであることが書いてあるのを見たと、著書「新資料・蘆溝橋事件」に記している。
http://kenjya.org/rokoukyou.html
共産党軍の兵士向けパンフレットに、「蘆溝橋事変は、わが優秀なる劉少奇同志の指示によって行われたものである」と自慢した記述があった。
http://kenjya.org/rokoukyou.html
2015年10月4日
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