フルプレテリズムの問題点4
先生は永遠の世界がまだ到来していないと考えておられます。また、永遠の世界の状態は黙示録21、22章に書かれていると考えておられることと思います。しかし、それではヘブル書の著者が、当時の聖徒たちに対して黙示録21:2で書かれている神の都と天のエルサレムが「近づいている」と確言したのは(ヘブル12:22)、どのように理解すべきでしょうか。ヘブル書の聖句の中では、「都とエルサレムの近づき」が紀元70年に起きた空中の大宴会と並べて書かれていますから、これらのものが紀元70年に実現したことは明らかです。当時の聖徒たちに聖なる都と天のエルサレムが「近づいている」と言われたのに、2千年経過しても未だに、それが近づいていないとはどういうことなのでしょうか。富井先生も、ヘブル12:22と黙示録21:2に書いてある「都」および「エルサレム」が同じことを言ったものだという理解を持たれるのではないかと思いますが、これについてはどうお考えでしょうか。聖書全体は、明らかに紀元70年に一大転機が訪れ、新しい秩序が到来すると述べております。
ヘブル12:22と黙示録21:2に書いてある「都」および「エルサレム」は同じではありません。
HPで何度も触れているように、紀元70年において天地は新しくなったのです。
ただし、この新天新地と、黙示録21の新天新地とは同じはありません。
なぜならば、その間に千年間クリスチャンが王になる時代があるからです。
時系列的に言うと、
聖化されつつある天地としての新天新地(千年王国)→栄光化された天地としての新天新地(永遠の世界)
という順序になります。
これは、クリスチャンの聖化と栄光化と似ています。
聖化されつつあるクリスチャン(血肉の体を持つ状態のまま徐々に聖められている状態)→栄光化されたクリスチャン(永遠の体を与えられた状態)
クリスチャンは、イエスにおいて「すでに復活し、天の王座に座っている」と言われていますが、それは文字通りの復活や昇天ではなく「この地上で漸進的に進みつつある暫定的復活・暫定的昇天」であって、完全的復活・完全的昇天は、この血肉の体を脱ぎ捨てて、御霊のからだを与えられた後にやってきます。
千年王国という名の新天新地の時代には、様々な苦しみがあります。
「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16・33)
しかし、栄光化された新天新地においてはそれはありません。
「・・・もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」(黙示録21・4)
2018年4月24日
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