ギリシャ語「apolytrosis(贖い)」という言葉の意味は、「身代金を払って救い出すこと」であるが、「〔抵当に入れた財産を〕買い戻すこと(redemption)」という意味もある。
http://www.biblestudytools.com/lexicons/greek/nas/apolutrosis.html
であるから、「キリストが人間を贖う」ということは「ご自身の命という身代金を払って人を救い出す」という意味であると同時に、「本来自分の陣営に属していたが、サタンに魂を売って奴隷に落ちた人間を神が買い戻す」という意味にもなる。
このことは、被造物全般について言える。
被造物はもともと神のものであり、神の栄光を表すために創造された。
しかし、人間が堕落して、サタンの奴隷になると、サタンの国を作るために利用されるようになった。
聖書における「贖い」は、人間だけではなく、被造物全般に適用される。
その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。(コロサイ1・20)
「万物」が「和解」した。
つまり、被造物全般がキリストによって贖われた、つまり、買い戻された、という意味である。
すでにわれわれは、キリストによって買い戻された世界に住んでいる。
法的には万物は正式に神のものになった。
しかし、実際的には、イルミナティがサタンの目標を達成するために巨万の富を運用している。
われわれにとって、被造物は、「キリストの購入物」である。
コンビニに行って、お金を払わずに商品を外に持ち出すと罰せられる。
なぜならば、所有権が移転していないから。その商品は依然としてそのコンビニのものである。
しかし、お金を払ったら所有権が移転し、それを持ち出して、どう使おうと自由である。
キリストは、お店に入ってご自身の血という代価を支払って、天地万物を買い取られ、復活して出てこられた。
天地万物は、キリストの所有物である。
そして、われわれは、キリストの体であるエクレシア(契約の民の集合)に属している。
われわれもキリストと同じ権威を持っているので、天地万物はわれわれの所有物である。
クリスチャンになるということは、無一文だった人間が、億万長者になるようなものである。
全世界はクリスチャンのものである。
われわれは、依然として悪魔に牛耳られている世界を取り戻さねばならない。
悪魔は、「自分のものだ」と言っているが、嘘である。
その嘘を広めるために教会にディスペンセーショナリズムという異端をはやらせた。
「再臨までクリスチャンにはいかなる権威もない」と信じ込ませることに成功した。
しかし、聖書によれば、すでに再臨は紀元70年にあり、クリスチャンはそれ以来、キリストとともに世界の王であり、全世界を所有している。
所有権がすでに移転しているので、あと行わねばならないのは、実際に奪い返すことである。
あなたが、ある百貨店を買い取ったとする。
その百貨店にあるものすべてが自分のものである。
しかし、もし詐欺師があなたに近づいてきて、「買い取り契約は法的に無効ですよ。あれはあなたのものではなく、依然として〇〇さんのものですよ」と言って、信じてしまった。
その百貨店は自分のものであるにもかかわらず、あなたはそこに行ってただで買い物をせずに、どこかほかの店でお金を払って買い物をしている。
ディスペンセーショナリストのクリスチャンは、自分の所有物であるものに囲まれながら、知識がないために窮乏生活をしている「騙された人」である。
われわれがなすべきことは、ただ「万物の所有権を主張し、サタンから奪い取ること」である。