男性の長髪について



ロックも長髪も先生が今は否定されているのは
特に反対とかないのですが
個人的には私は男性の長髪は嫌いではありません。

これはいけないことなのでしょうか・・・

「自然自体が、あなたがたにこう教えていないでしょうか。男が長い髪をしていたら、それは男として恥ずかしいことであ」(1コリント11・14) ると聖書にありますので、男性は短髪にすべきだと思います。

なぜ長髪が恥ずかしいことかというと、男性は神の似姿だからです。

「男はかぶり物を着けるべきではありません。男は神の似姿であり、神の栄光の現われだからです。女は男の栄光の現われです」 (1コリント11・7) 。

髪は頭を守るためのもので、「被保護」の象徴です。

女性は、未婚のときは父親から、結婚してからは夫に守られます。

これは、女性が被造物として劣っているということではなく、「召命の違い」です。

男性、女性に生まれるのは、召命であり、「この役割を果たしなさい」と神に任命されたからです。

私がどんなに努力しても総理大臣になれないのは、そのように召命を受けていなからです。

もし召命を受けていたら、安倍さんのように、きっと政界の有力者の家庭に生まれたか、早い時期に政治家の秘書にでもなっていたでしょう。

みんなが総理大臣になっても社会は成立しないように、みんなが男性に生まれたら、子孫を残せません。

召命として、女性は、被保護の立場に置かれました。

男性は、女性を保護するように作られました。

だから、力があるし、思考も社会と密接に結び付き、組織を運営したり、軍隊を統率したり、支配と直結した思考をします。

女性は主に家庭的な事柄に関心があります。

もちろん、例外はありますし、女性が会社を経営したり、組織を運営する場合もあります。

しかし、圧倒的に多数の状態は、男性は社会的で、女性は家庭的。

これで相互補完的に社会は成立します。

ですから、女性にとって男性の権威の下にあり、保護されることが召命のしるしとして栄光なのです。

女性が、被保護の象徴である髪が長いことは、それゆえ、栄光です。

「女が長い髪をしていたら、それは女の光栄であるということです。なぜなら、髪はかぶり物として女に与えられているからです。」(1コリント11・15)

しかし、男性は、権威、保護者として神から召命を受けているので、長髪はふさわしくない。

私は、男性が壮年になって髪が薄くなるのは、権威が増すからだと考えています。

禿頭は、けっして恥ではなく、神のもとに権威を増した姿だと思います。

以前の教会で、長老会に出たときに、壮年男性が集まると、何か権威と重々しい威厳の空気に圧倒されるのを感じました。

壮年男性は、神の代表者として威厳を与えられており、それに見合った頭が禿頭や白髪なのだと思います。

それでは、女性が短髪にしているのは、間違いなのかというと、あるべき姿ではないが、許容されていると思います。

「髪を切り、頭をそることは女として恥ずかしいこと」である(1コリント11・6)。

しかし、許容されているので一般の生活をする際には短髪でもかまわないが、神の前に出て祈ったり、預言をしたりする場合には、被り物をつけなければならない。

長髪の女性はつける必要がない。なぜならば、長髪そのものが女性にとって被り物なので。

「髪はかぶり物として女に与えられているからです。」(同15)

同じように、男性も一般の生活をする際には被り物をすることができますが、礼拝や祈り、預言をする場合には、それを取るべきです。

長髪にした場合は、礼拝に出たときに、それを取ることが実際的にできないので、短髪にするのがいいということになる。

礼拝前や祈りのたびに髪を切っていたら、実質的に短髪を継続するということになる。

 

 

2014年11月23日



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