自分でやれるだけのことをやったら「ぶん投げる」


聖書では「6日働いて1日休め」と命じています。

これは「人事を尽くしたら天命を待て」と同じ意味と考えています。

つまり、人間の側で最善の努力をして、なおも問題が解決しない場合は、神に委ねて放置するのです。

なぜならば、それ以上どうしようもないからです。

こだわり続けると、かえって自分に害が及びます。

最後までやる必要はないのです。

神がやってくださる。

生物にホメオスタシスの機能があり、傷口は癒え、恒常性を維持するように体ができています。

神は、傷口が残ったまま放置されるかたではないので、必ず「悪は刑罰を受けます」。

この場合、大切なのは、忍耐です。

「裁きを待つ」ことができるかどうか。

自分で手を出すと、失敗します。

復讐で殺人を犯す人がいますが、これは愚かな方法です。

なぜならば、自分が犯罪者になって不利益を被るからです。

「神の裁きを待つ」ということは「自分が不利益を被らない方法で復讐する」ことを意味します。

黙示録で、迫害された人々が天において「いつまで裁きをつけずに放置されるのですか!」と訴える人々が描かれていますが、私たちも「神様、報復してください!」と祈ることができます。

神の裁きが始まると、悪人は正体を現し、社会的・物理的にやってはいけないことをやり始めます。

いわゆる「気違い沙汰」をやり始めます。


「あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(ヘブル10・36)

忍耐をし続け、自分から手を出さないことを続けているうちに、必ず、神は裁きを行ってくださいます。

私は自分でやれるだけのことをやったら「ぶん投げる」ことにしています。

 

 

2019年4月25日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net