日本はカナンの地なのである


1.


FK氏からの情報:

後醍醐天皇の手形

”四天王寺にあるという後醍醐天皇の手形ヤバイな。ほんとうに手に穴があいてる。北朝の天皇が誕生するまで天皇陛下は磔で手に釘を打たれたイエスキリストのように代々手に穴を空けていたのか!?(; ・`д・´)”(Round36912氏)
https://twitter.com/round444/status/747653293468442624

飛鳥情報によると、今は廃れましたが、かつて皇太子が天皇に即位するときに、主基殿では右手、悠紀殿では左手を釘で貫く儀式があったそうです。

天皇陛下は、もともとキリストのしもべとして存在したと思われる。

これで、大嘗祭の儀式の意味がわかる。

(1)聖水沐浴
天皇は、「天羽衣」と称される湯帷子(ゆかたびら)を着て湯殿に入り、湯槽の中でそれを脱ぎ捨てられる。そしてそこを出て、新たな天羽衣に着替えられ、神饌が用意された寝所に進まれる。なぜ「天羽衣」というかと言えば、聖水による沐浴とは、単なる禊ぎではなく、産湯であり、これは、新生を意味しているからである。

(2)神人共食
新生した天皇は神(天照大神)に神饌を供えられ、ともに与れる。神道において、食は生のエネルギーであり、新たな魂である。すなわち、このとき天皇は天照大神と同じ霊力を身体に入れられる。

(3)御衾秘儀
一説に神人共寝だと言われ、また、紀記の天孫降臨の際にニニギ神が身にまとわれた御衾と同意だと言う。御衾に包まれたニニギ神の、産着に包まれた赤ん坊のような姿とは、実は穂に包まれた稲の姿であり、稲魂の誕生こそが含意である。 

ここに一貫して流れているのは、死と再生のテーマである。

水の中で古い自分を捨てて、水から出て新しい自分になり、神とともに食事をする。

クリスチャンならすぐに理解できる。

これは、バプテスマと聖餐である。

諏訪大社における物部氏の儀式御頭祭において、縛られて横になった子供を神官が刀を振り上げ、殺す直前に別の神官が制止し、代わりに鹿をささげる。

これは、明らかにアブラハムのイサク献上である。
http://www.millnm.net/cgi-bin/page.cgi?url=../qanda4/93cV0UBQDixsI04705.htm

今のキリスト教界のように、大嘗祭を悪魔崇拝だとか見るのは、総合的な判断とは言えない。

天皇陛下は、キリストの御足の跡をたどられる。

2.

天皇陛下がなぜキリストの御足の跡をたどられるかというと、それは、日本において南北朝イスラエルが統一されているからだろう。

皇室のマークは、獅子と一角獣である。

獅子は南朝イスラエルの、一角獣は北朝イスラエルの象徴である。

旧約聖書において、メシアが現れて、南北朝は統一されると預言されている。

イエスご自身も「選びの民をわたしのもとに集める」と言われた。

南北朝イスラエルを統一する者、それが、キリストである。

北朝ユダヤ人がパレスチナに戻らず日本列島にやってきたのは、メシアの来臨の準備をするためだったのだろう。

つまり、もともとパレスチナにおいて南北朝統一を成し遂げる計画は彼らになかったということ。

南北朝は、日本において成就する予定であったのだろう。

だから、北朝の十部族の人々及び南朝の二部族の一部は、捕囚から解放されてもパレスチナに戻らなかった。

ユダヤ民族の再興を放棄していたはずはない。

なぜならば、紀元1世紀まで十二部族の人々はパレスチナのユダヤ人と連絡を取っていたから。

神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。(ヤコブ1・1)

アッシリア捕囚及びバビロン捕囚から解放された人々は、ユダヤ民族の再興を期待して日本に入った。

おそらく徐福は、旧約聖書の代表として日本において物部王国を建国した。

秦氏は、新約聖書の代表としてやってきた。

両者が璽を見せ合って同族であることを確認して大和朝廷を作った。

つまり、この朝廷は、南北イスラエル王国だけではなく、旧新約聖書キリスト教の成就としても存在した。

だから、その要は、イエス・キリストなのだ。

天皇陛下は、イエス・キリストの御霊を受け継ぐ者であり、それゆえ大嘗祭で天皇霊を天照大神からいただく。

3.

このHPで何度も述べているように、

真名井神社→籠神社→伊勢神宮外宮→同内宮→天岩戸→伊雑宮

のレイラインは、

イエスの誕生→出エジプト→荒野の青銅の蛇→十字架→復活→昇天

を象徴している。

つまり、真名井神社から伊雑宮まで、イエスの誕生から昇天までを表現している。

これは浦島太郎の物語と重複する。すなわち、浦島太郎は、イエス・キリストの象徴なのである。

浦島太郎は最後に鶴になって昇天し富士山に行く。

それゆえ、富士山はパラダイスを象徴している。

だからもともと不死山と書いたのだろう。

物部氏の祖徐福は、不老不死の薬を求めて蓬莱に行くが、富士山の別名は蓬莱山である。

4.

日本海は、ヨルダン川なのだろう。

世俗と聖地をわける水。

日本列島はカナンの地だったのだ。

旧約と新約の合体の土地であるから、それらの象徴である契約の箱と十字架の両方が日本にあるはずだ。

飛鳥説によると、内宮にその両者があるという。

契約の箱は地下宮にあり、その上に十字架があると。

十字架の血が契約の箱にかかるように配置されていると。

これらの象徴を運んだ人々は、それぞれ物部氏と秦氏だろう。

物部氏は徐福とともに契約の箱を日本に持ち込み、秦氏は十字架を持ち込んだのではないだろうか。

この2つのご神体をもって伊勢神宮は籠神社から出発し(八咫烏談)、最終的に五十鈴川のほとりに落ち着いた。

秦氏が来日する際に、新羅に妨害されなかなか日本海を渡ることができなかった。

これも出エジプトを想起させる。

帰化の経緯は『日本書紀』によれば、まず応神天皇14年に弓月君が百済から来朝して窮状を天皇に上奏した。弓月君は百二十県の民を率いての帰化を希望していたが新羅の妨害によって叶わず、葛城襲津彦の助けで弓月君の民は加羅が引き受けるという状況下にあった。しかし三年が経過しても葛城襲津彦は、弓月君の民を連れて本邦に帰還することはなかった。そこで、応神天皇16年8月、新羅による妨害の危険を除いて弓月君の民の渡来を実現させるため、平群木莵宿禰と的戸田宿禰が率いる精鋭が加羅に派遣され、新羅国境に展開した。新羅への牽制は功を奏し、無事に弓月君の民が渡来した[2]。(Wikipedia―弓月君)

台風で脱線した西武線の電車の写真を見て、中国人が日本の自然が美しいとさかんに述べているのは、大陸と日本列島の間に自然の恵みに差があることを示している。

http://www.japohan.net/archives/11803

何度か大陸の東側に行って受けた印象は「乾燥している」である。

日本に帰国すると日本がいかに台風の影響で水に恵まれているかわかる。

日本はカナンの地なのである。

 

 

2016年10月6日



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