ローマ・カトリックとユダヤ教カバラ2
中世には、ユダヤ教の神秘的伝統を研究し実践することによって、確信的なキリスト教徒になり、[カトリック]教会に改宗した多くのユダヤ人がいた。これらのユダヤ人改宗者たちは、カトリック信仰の観点からカバラやユダヤ教の神秘的伝統を探る多くの本を書いた。教皇シクストゥス4世は、他の教皇たちと並んで、この運動を認め、カバラをラテン語に翻訳し、すべての神学生にそれを研究するよう命じた。これは前ルライニック・カバラ(pre-Lurainic Kabbalah)であった。しかし、より合理主義的な世代の台頭とともに、この分野の研究はカトリックの学者によって無視されるようになった。シェキナは、この神秘主義の中心概念である。エライアス・フリードマン神父は著書の中で、「カトリック教会の幕屋におけるイエスの聖体拝領的臨在」に関し、このようなシェキナの理解について言及している。シェキナがソロモンの神殿に住んでいたように、受肉したシェキナはイエシュア[つまり、イエス]であり、現在、世の幕屋に住んでいる。このように、ユダヤとカトリック両方の神秘主義の中心概念は、神の臨在(シェキナ)である。私は「聖体拝領という観点からユダヤ教の神秘的伝統を研究することは、教会全体を豊かにするヘブライ・カトリック精神が将来発展するために不可欠である」と考える。聖体崇拝がカトリック神秘主義者の中心的活動であるように、シェキナ崇拝はユダヤ神秘主義者の中心的活動である。
神の民が荒野にいた時、神は彼らに、ご自身が彼らの間に臨在されることを示す二つの明瞭な印を与えられた。まず、神は彼らにご自身の臨在を示す目に見える印をお与えになった。つまり、彼らがシェキナと呼ぶものである。・・・われわれ、神の新たな民、神の御体の構成員である教会にも、シェキナとマンナがある。これらはいずれも、聖体の中に見られる。・・・聖体拝領の章で見たように、「ミサの聖なる犠牲」には二つの異なる要素がある。一つは犠牲の要素、すなわち、御自身を御父に捧げられた、神の子羊なるイエスである。もう一つは食事の要素、すなわち、生命のパン、われわれに御体を食物として与えるイエスである。イエス・キリストは、われわれのシェキナである。
2019年11月16日
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