世界はいずれクリスチャンのものになる。
なぜならば、次のように約束されているからだ。
柔和な者は幸いである。地を相続するからである。
神の前に謙遜であり、おそれを抱く人々、これが、柔和な者である。
人の前に謙遜であり、おそれを抱く人々ではない。
もちろん、人に対して傲慢になってもいいということではない。
「互いを自分より優れた者と思え」とあるとおり。
しかし、卑屈になって人を恐れることは禁止されている。
それは、柔和ではなく、臆病である。
クリスチャンは、生活の中において訓練され、人を恐れなくなる。
神を恐れていれば、大丈夫と思えるようになる。
訓練が足りないと、人の言動に振り回される。
とくに、この働きに参加する人々は、厳しい訓練があるから覚悟されたし。
人を一切信頼しなくなるまで孤独の中において徹底して鍛えられるだろう。
普通の活動と違って霊的に落ち込むことが増えるだろう。
サタンはそれだけわれわれのことを狙っているのだ。
しかし、訓練されて、環境に動かされないようになると、人に動じなくなる。
私の目標は、完全に人に動かされない人間になることだった。
感受性が強いと、人のちょっとした動作に動かされる。
これは、非常に疲れる生き方である。
人間関係に鈍感になること。
ただし、神の言葉に対しては鋭敏になること。
これがクリスチャンの目指す道だ。
さて、このようなクリスチャンは、人を恐れず、神を恐れるから、どんどん神の国を拡大する。
神が支配される領域を拡大する。
今の時代は、徐々にマルクス主義が領土を拡大する時代である。
マルクスが思い描いたサタンの国が徐々に成就している。
それを食い止めて、聖書的な世界を拡大しなければならない。
そのためにわれわれは生を与えられた。
世界においてジェンダー・フリーなる運動が盛んになれば、それに反対して、「聖書的男女思想」を広めること。
累進課税制度が強くなるならば、逆に一律同率平等の税制を主張すること。
国境不要論が強くなるならば、逆に国防を強化するよう主張し、国の秩序を守ろうとすること。
こういった活動を実行し、それに従事している牧師や宣教師を助けること。
それが、われわれが生まれてきた意味である。
アダムが最初に言われたように、「地を従えよ」である。
地を従えることができることが証明されれば、われわれのもとには徐々に多額の金銭が入るようになるだろう。
忠実さに合格すれば、神からの資金援助が伴うだろう。
なぜ福音派や聖霊派が尻すぼみかというと、聖書的ではないからだ。
聖書と無関係に自説をごり押しするからだ。
「世界の終末は近い」などと勝手に吹聴するからだ。
ロスチャイルドが広めたクリスチャンシオニズムを唱えるからだ。
神の御心と逆のことをしているので、だんだん貧乏になり、ついには信徒がだれもいなくなってしまう。
長期的に祝福されたいならば、聖書のとおりに行動せよ。
まず第一に神の国と義を求めよ。
そうすれば、それに加えて必要なものが与えられるだろう。
そして、神のために大きな活動が開かれてくるだろう。
急がば回れだ。