日中全面戦争を仕掛けたのはコミンテルンの手先武藤章だ
石原の忠告をも退け、中国への進出拡大を図った武藤章は、尾崎秀実と親しかった。
尾崎は「日本を対中戦争に引き込む」というコミンテルンからの指令を受けて活動したスパイ。
つまり、こういう図式。
コミンテルン→尾崎→武藤→中国での関東軍の暴走
武藤は「1937年7月の盧溝橋事件に際しては、参謀本部作戦課長として、不拡大方針をたてた上司の作戦部長石原莞爾とは反対に対中国強硬政策を主張し、12月には中支那方面軍参謀副長として現地に赴」いた。(Wikipedia)
盧溝橋事件は、明らかに中国共産党の工作である。
事件勃発後、延安にいた本部に対する北京大学構内からの「成功した、成功した、成功した」との打電を日本軍が傍受している。
http://85666808.at.webry.info/201311/article_8.html
武藤は、ゾルゲとのつながりがあった。
「武藤はこれを受け、開戦に逸る参謀本部を制して最後まで対米交渉の妥結に全力を尽くした。
開戦後は戦争の早期終結を主張し、東條や鈴木貞一、星野直樹らと対立、リヒャルト・ゾルゲにかねてから軍務局長の名で全面的な情報提供を命じてた[1]ことから1942年(昭和17年)4月にゾルゲ事件の発覚等により更迭され、近衛師団長となる。」(Wikipedia)
武藤章は、コミンテルンの手先にして、日中全面戦争の仕掛け人である。
2017年7月4日
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