日本人の原型を記紀に求めるべきではない


会社員時代、オン・ザ・ジョブ・トレーナーがホモ・セクシャルであった。

彼は、仏教系新興宗教の信徒で、毎日仏壇に手を合わせていた。

ザビエルの記録によれば、当時、仏教の僧侶の間には、同性愛がはびこっていた。


「16世紀半ば、人々をキリスト教に改宗させることを目的として来日したフランシス・ザビエル神父は、同性愛にふける多くの仏教の僧侶と出会ってショックを受け、同性愛を「日本人の悪習」と呼び始めた。ザビエル神父は、「ソドムの罪」を日本から取り除くことが自らの責務であると判断した。神父曰く「われわれはしばしば、坊主[仏教の僧侶]たちに、このような恥ずべき罪を犯すべきではないと伝えている。われわれが語るすべての言葉は、彼らにとって笑いの種であった。坊主たちは、それを笑い飛ばし、この忌まわしい罪について叱責されても恬として恥じない。」(Vanessa Baird, The No-Nonsense Guide to Sexual Diversity,2007,pp.69-71)
https://www.amazon.com/No-Nonsense-Guide-Sexual-Diversity-Guides/dp/1904456642

この風習は、唐に留学した僧侶が広めたらしい。

唐で男色が流行しており、唐の文化を流行の最先端と見なしていた貴族も男色に傾倒したという。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1385480648

古事記や日本書紀など、神話には奔放な性の描写があり、それを見て「昔の日本人は、自由だった」という人がいるが、日本の真の姿は、記紀を読んでもわからないと私は思う。

なぜならば、持統天皇、藤原不比等以降、宗教の一大改革が行われたと考えているので。

記紀では天照大神は女神だが、物部神道では男神である。

物部氏の神「ニギハヤヒノミコト」は、「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」の名前を持ち、「太陽神(天照)」である。

物部・秦が支配した時代の道徳は、不比等以降変化したのではないだろうか。

もともと景教徒秦氏の神社だった広隆寺には、十戒が掲げられている。

広隆寺の十善戒

不殺生 (殺さない)
不偸盗 (盗まない)
不邪淫 (邪淫しない)
不妄語 (嘘をつかない)
不慳貪 (欲張らない)
不両舌 (二枚舌を使わない)
不綺語 (お世辞を言わない)
不瞋恚 (怒らない)
不悪口 (悪口を言わない )
不邪見(不正な考えをしない)

これは、明らかにモーセの十戒の影響が見られる。

古代史研究家島茂人氏によると、記紀の記述は、意図的に猥雑化されていると。

日本人の原型を記紀に求めるべきではないと思う。

そして、性道徳が厳しくなったのは、明治時代にキリスト教が入ってからだ、というのも間違いだと思う。

もともと日本はクリスチャンの国だったのだ。

 

 

2018年8月18日



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