古代日本はキリスト教国だった2
1.
まず、意外なところから説明しますと、皇室神事に携わっている式部職(雅楽奏者など)は渡来豪族の「秦氏(秦河勝)」の末裔(東儀家など)が代々務めていますが、彼らは皆クリスチャンです。つまり皇室神事はクリスチャンたちが仕切っているのです。
伊勢神宮の20年ごとの遷宮は、死と再生を表しているという。
天皇即位後の初めての新嘗祭である、大嘗祭において、天皇は、聖水沐浴、神人共食、御衾(おぶすま、寝所)秘儀を行う。折口信夫博士を始めとする国学の大家たちによると、次のような意味があるという(http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-30.htm)。
すなわち、
(1)聖水沐浴
天皇は、「天羽衣」と称される湯帷子(ゆかたびら)を着て湯殿に入り、湯槽の中でそれを脱ぎ捨てられる。そしてそこを出て、新たな天羽衣に着替えられ、神饌が用意された寝所に進まれる。なぜ「天羽衣」というかと言えば、聖水による沐浴とは、単なる禊ぎではなく、産湯であり、これは、新生を意味しているからである。
(2)神人共食
新生した天皇は神(天照大神)に神饌を供えられ、ともに与れる。神道において、食は生のエネルギーであり、新たな魂である。すなわち、このとき天皇は天照大神と同じ霊力を身体に入れられる。
(3)御衾秘儀
一説に神人共寝だと言われ、また、紀記の天孫降臨の際にニニギ神が身にまとわれた御衾と同意だと言う。御衾に包まれたニニギ神の、産着に包まれた赤ん坊のような姿とは、実は穂に包まれた稲の姿であり、稲魂の誕生こそが含意である。
天照大神の子である天忍穂耳尊と、高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫命(萬幡豊秋津師比売命)の子[1]。兄に天火明命(あめのほあかり)がいる[1]。『日本書紀』の一書では天火明命の子とする。
大山祇神の娘である木花之開耶(このはなのさくや)姫を妻とし、火照命(海幸彦)・火闌降命(火須勢理命)、彦火火出見尊(山幸彦)が生まれた[1]。
天孫降臨
天照大御神の命令を受けた建御雷神と天鳥船神が大国主から国譲りを受けて葦原中国の統治権を確保する。 その後に天照大御神の命により、ニニギノミコトは葦原中国を統治するため高天原から地上に降りたという[2]。これを天孫降臨と呼ぶ[1]。『古事記』では、この降臨の地については「竺紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるだけ)に天降りまさしめき」と記述している。『日本書紀』では、「日向襲之高千穗峯」あるいは「筑紫日向高千穗」と記述している。
(1)水による新生
(2)聖餐
(3)神の副官としての献身
2017年4月27日
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