神学を軽視する指導者についていくな2


では、カントとヴァン・ティルの認識論の違いとは何か。

カントは、人間から出発する。

認識の出発点は人間である。

しかし、人間の理解は、徹底していない。

影に隠れた部分がある。

とくに死後の世界、道徳の世界、などに関しては、科学ではどうしても知りえない。

そこでカントはそれらについては、「人間が自分で勝手に決めていい」といった。

ヒューマニズムは、不可知論と主観論に基づく。

それに対してヴァン・ティルは、認識の基礎は、神であるとする。

三位一体の神が世界が創造される前から持っていた知識、つまり、自己知識こそが、基礎である。

その自己知識は創造者であり第一原因である神のそれなので絶対である。

人間は、この神から教えられて、認識できる。

だから、死後の世界であっても、その死後の世界を創造され、それについてあますところなく完全な知識を持つ神が啓示されたことによって知識を得られるとする。

聖書を人間の認識の出発点にする。

自分が認識したことであっても、それが聖書と反するならば捨てる。

この原則を確立した人は、様々な神秘思想に騙されない。

輪廻転生などという出鱈目に騙されない。

それを確立しないので、今のキリスト教には様々なニューエイジ思想が入って教会を破壊している。

聖書に頼らなければ、人間は簡単にサタンに騙されるのである。

サタンは、ひとたび人間の中に基地を作ると、それを広げようとする。

輪廻転生を信じる教会は、どんどんそれ以外のことも信じるようになり、最終的にめちゃくちゃにされて死滅する。

聖書によってチェックするしかないのである。

われわれには、これしか残っていない。

聖書信仰、前提主義を捨てるならば、おぞましい未来がやってくる。

 

 

2014年12月17日



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