ウェストミンスター神学校教授ジョン・フレームの次の著書は、キリスト教神学及び哲学について短くまとめているので、非常に便利である。
A History of Western Philosophy and Theology, P&R Publishing
http://www.wtsbooks.com/a-history-of-western-philosophy-and-theology-john-m-frame-9781629950846
改革主義神学の中心的な流れも、容易に理解できるようになっている。
クリスチャンにとって、聖書信仰に立つ「神によって再生された本物のクリスチャンの神学者」の考えだけが重要であって、その他は、概略だけ知っていればいい。
サタンは、このような「王道」を人々に知られたくない。そのため、「邪道」の神学者たちを送り込んで、人々を迷子にする。
くだらない、有害な思想家の考えに影響された牧師たちが、一生をかけて間違った教えを群れの信者たちに教える。
牧師も信者もどちらにとっても不幸である。
人生を無駄にされるわけだから。
たとえば、バルトの考えを取り入れた牧師は、「クリスチャンとは、すべての人が救われていることを知っている人に過ぎない」という「普遍救済説」を信じ、それを信徒たちに教えることによって、伝道を無意味にし、宣教の活動を無価値なものに変えている。
一生かけて、神の国を破壊し、信徒を地獄に落とし、自分も地獄に落とされる。
しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。(ガラテヤ1・8)
自分を教えてくれた人々が本当に聖書的神学を信じているのか、確認する必要がある。
そうしないと、誤謬を吹き込まれて、牧師ともども地獄に投げ込まれることになる。
「私たち(つまり、使徒たち)が宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝える」人々は「のろわれるべき」なのであるから、自分がまきこまれないように、彼らから離れるべきである。
残念ながら、ジョン・フレームはバルト神学に対して寛容である。
バルトに関して、私の一般的な見解は否定的であるが、「数時間バルトの著作をページを繰って読んでも、誤謬を発見しないどころか、多くのことを学ぶのである」と告白する。(366ページ)
それゆえ、この著書についても、相当な神学的訓練を受ける必要があり、聖書信仰が確立していない人にはお勧めできない。