チャンネル桜の立場を見てつくづく思うのは、歴史的な知識が欠いたままで運動を始めると変な方向に向かうということである。
チャンネル桜は素晴らしい働きをしているし、私は水島社長を尊敬している。
あのように現実に働きかけ、国や世界をよくしようと頑張っている人こそが本当に聖書が述べているクリスチャンのあるべき姿であると思う。
ただ再臨のキリストを待つばかりで何もしないプレ・ミレよりは100倍ましである。
しかし、残念なのは、歴史認識である。
西欧近代の過去の遺産をばっさり切り捨てる。
「アメリカはインディアンを大量虐殺して作り上げた国である。日本はそうではない」という。
しかし、日本人はアイヌなど異民族に対して同じようなことをしてきた。
かつては東日本全体に住んでいた蝦夷を武力制圧した。
三十八年戦争
宝亀元年(770年)には蝦夷の首長が賊地に逃げ帰り、翌2年の渤海使が出羽野代(現在の秋田県能代市)に来着したとき野代が賊地であったことなどから、宝亀年代初期には奥羽北部の蝦夷が蜂起していたとうかがえるとする研究者もいるが[2]、光仁天皇以降、蝦夷に対する敵視政策が始まっている。宝亀5年(774年)には按察使大伴駿河麻呂が蝦狄征討を命じられ、弘仁2年(811年)まで特に三十八年戦争[3]とも呼ばれる蝦夷征討の時代となる。一般的には4期に分けられる[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%A6%E5%A4%B7%E5%BE%81%E8%A8%8E
「多神教は寛容だが、一神教は不寛容で戦争を生む」とかと同類の間違いである。
多神教の徳川幕府は、キリシタンを大量虐殺した。(*)一説によると100万人粛清されたと聞く。
多神教のローマ帝国は、クリスチャンを大量虐殺した。
寛容・不寛容の区別を単純に多神教と一神教に帰することは、間違い。
それと同様に、「欧米の近代は、武力征服によって世界を蹂躙してきたが、日本は違う」とか、そういった間違いは、問題を細かく分析せず、歴史的事実に基づかないので、きわめて危険であり、自ら保守運動にとって障害を築きあげることになっている。
他のすべての文明と同様に、西洋文明には、いろいろな要素がからみあってよい部分もあれば、悪い部分もある。
そして、科学において、政治において、経済において、思想、宗教、あらゆる領域において、西洋は、東洋を凌駕する力を得たのであり、日本をはじめアジア諸国はこの西洋文明の恩恵を多大に受けてきたことは絶対に否定できない。
ローマ・カトリックによる失地回復のための反宗教改革、啓蒙主義に基づくフランス革命やアメリカ建国などは、それぞれグノーシスとフリーメイソンによって作られたものであり、それは悪魔から来た運動であった。
しかし、聖書信仰に基づくカルヴァンのジュネーブにおける立憲主義に基づく改革やジョン・ノックスのスコットランドの改革、イギリスやアメリカのピューリタン運動は神の国の発展として起きた。(**)
もちろん、それらの神の国の発展が完全無欠なものであったなどと言うつもりはない。しかし、逸脱はどの運動や改革にもあることだ。
日本の保守運動を、「欧米は間違っていたが、日本は古来から純粋で間違いはなかった」の類の根拠のない信仰に基づく運動にしてはならない。
(*)
私はキリシタンの側に組する者ではない。なぜならば、当時ローマ・カトリックが持ち込んだキリスト教とは、主にイエズス会だったからだ。
イエズス会は、グノーシス秘密結社アランブラドス出身のイグナチウス・デ・ロヨラが作った偽キリスト教であり、いわば「ローマ教皇教」である。
ここで多神教が常に寛容であったという歴史的事実はないという意味で例に挙げただけである。
(**)
ローマ・カトリックはグノーシスであり、その証拠の一つは、グノーシスの写本を使うことである。ローマ・カトリックのウルガタ訳は、アレキサンドリア写本に強く影響されており、他のいくつかの写本と組み合わせて編集し、グノーシス主義に影響を強く受けていたオリゲネスの思想が濃厚に反映されている。
ちなみに、オリゲネスの著作には、マリア崇拝の初期の兆候が見られる。オリゲネスはエジプトのアレクサンドリアに住んでいたが、この地はイシス礼拝の中心地であった。
イシスは、エジプト神話における豊沃と母性を象徴する神であり、その息子は太陽神ホルスであった。母イシスと息子ホルスのイメージは、母マリアとイエスのモデルになった。