死刑制度に反対するクリスチャンは別の宗教の信者である
1.
殺人に対して死刑を適用しなくてもいいという人は、「刑罰は犯罪の大きさに比例する」という旧約律法の「同害刑法の原則」が適用されないと唱えている。
つまり「神は罪にふさわしい罰を要求する義なる神ではない」と告白している。
このような神は「バランスシートで支払いが多くなっているが、収入を増やす必要はない。帳尻を合わせる必要はない」というような経営者であり、会社を破産させる。
イエスの死は、いわば帳尻合わせのために行われた。
人間が負っている借金を支払うためにイエスは十字架にかかられた。
2.
麻原の殺人に対して死刑を適用しなくてもいいという牧師が多いが、彼らは「イエス様、あなたの十字架は、過剰な対応でした」と言っているのである。
「一千万円の赤字?じゃあ成績を上げて、売上高を一千万増やそう!埋め合わせをしないと、会社が倒産するぞ!頑張ろう!」というのが正しい経営者。
死刑反対論者は、「一千万円の赤字?気にすることない。埋め合わせなんかしなくていい。会社が倒産しても大丈夫。気にするな!」と言っている愚かな経営者。
今の、死刑に反対するキリスト教は、実質的に、イエスの死を無駄な死と主張している。
彼らは「神様は、罪を犯してもそれに見合った刑罰を求めない寛容な方です。」と言っている。
となれば、当然「十字架がなくても罪は赦される」となり、イエスの贖罪の死を否定することになる。
死刑制度に反対するクリスチャンは、本当は別宗教の信者である。
2018年7月7日
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