もっとも有効な社会改革の方法は主の祈りである
1.
もっとも有効な社会改革の方法は主の祈りである。
「御名があがめられますように」
「御国が来ますように」
「御心が天で行われるように地上でも行われますように」
いくら民主主義が発達しても、選挙民がダメなら、舛添のような人間を選んで、政治がおかしくなる。
戦後、日教組が「日本人はだめな民族だ」と教えてきたので、財務省や国交省など役人が日本人を大切にしない。
増税、増税で、国民から絞りとろうとする。
国民にはまったく利益が還元されない。
政治家や官僚の中に日本人への愛情が欠落している。
こういう教育は、戦略的に行われたのであって、偶然ではない。
政治や教育には究極的な力はない。
問題は、「悪魔の活動を封じ込められるかどうか」なのである。
日教組の背後にいる共産主義という悪魔思想を野放しにして、制度だけがあっても、無意味なのである。
逆に言えば、社会制度が少々欠陥があっても、悪魔を封じ込めることができれば、国民は幸せになる。
主の祈りは、まず神の支配を祈る。
神の御名がほめたたえられる神の国の到来を期待する。
御心が天で行われるように地上でも行われるならば、悪魔の力は封じられ、善人が勝利するようになる。
善人が勝利すれば、善政が行われ、人々が幸せになる。
われわれが主の祈りをすれば、この世界は幸せになるのである。
政治制度は副次的なものである。
民主主義が整っていても悪魔が働けば、国民は虐待され、不幸になる。
まず「霊的な基礎」がしっかりと据えられる必要がある。
神の支配という霊的な基礎がしっかりと据えられれば、政治制度はきちんと機能する。
2.
「御心が天で行われるように地上でも行われますように」
この祈りが聞かれると、地上に天国と地獄が現出する。
すなわち、善人は善行をほめられ、支配力を強め、悪人は悪行を裁かれて、刑務所に送られたり処刑されたりして、地獄に放り込まれる。
「御心が行われる」とは「信賞必罰(賞罰)がしっかりと実行される」と同義である。
しかし、御心が行われず、悪魔の心が行われると、善人に苦しみが、悪人に幸せが訪れる。
正直者がバカを見て、ずる賢い悪人が裁かれずに大きな顔をするようになる。
殺人犯が処刑されず、遵法者が危険にさらされる。
この祈りが聞かれていないと、地上は天国と地獄の中間の場所に変わる。
白でもなく、黒でもない、灰色の世界になる。
勤労者が重税でバカを見、不労者が生保でぜいたくに暮らす。
われわれが「御心が地上でも実行されるように」と祈ることによって、賞罰が厳格に履行される社会になり、善人が繁栄し、悪人が衰退する。
神の国の到来とは、善が支配する世界の到来を意味する。
そのためには、賞罰が厳格に下る必要がある。
3.
神の国が確立され、賞罰が厳格に履行される社会になれば、努力する人が勝ち、利権にすがる人が負ける。
この体制が何世代も続くと、クリスチャンホームから天才が生まれる。
それは、信仰において卓越し、知力や体力、容貌、財力、あらゆる点で、ノンクリスチャンを圧倒するスーパーマンである。
善が勝利し、善がほめられ、善人が強くなり、財産を増やす家系には、様々な「長所」が集中する子供が生まれる。
音楽家が何世代も続いて出た家系に生まれた人は、音楽的に、生まれたときから、才能も環境も他の人々が絶対に埋められないような恩恵に恵まれる。
スタート地点がすでに違うのである。
同じように、クリスチャンとして何世代も続いた家系には、スタート地点がまったく異なるので、スーパーマン的な信仰者が育つ。
御心が行われるならば、このようにして、地上において「天国」はますます「天国」らしくなり、「地獄」はますます「地獄」らしくなる。
神に祝福された家系は、ノンクリスチャンの中で圧倒的な影響力を持ち、社会において支配的な地位を獲得する。
これが、「御国の到来」である。
他の家系と違う、圧倒的に優秀な資質を持つ家系が数多く誕生することによってのみ、地上において御国は拡大する。
つまり、「白」はますます「白」くなることによってのみ、神の国は発展する。
マルクスが提唱した累進課税制度、義務教育制度、相続税の目的は、このような家系を破壊することにある。
全部を灰色にすることを目指す。
聖書の法や思想と異なるものが支配的になることによって、クリスチャンホームは子孫や財産を失い、次第に有力なクリスチャン家系は消滅していく。
だから、子供の教育はノンクリスチャンのそれとはまったく隔離して行うべきなのである。
2016年6月20日
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