ひどくむち打たれたいか


201X年に再臨が起きると予言しているあるディスペンセーショナリストが、「この悪魔の時代に祈っても無駄だ」と言っているという。

「祈っても無駄」という言葉は、イエスの「信じて祈れば、山も動く」の御言葉と対立する。

さらに、「悪魔に立ち向かえ。悪魔はあなたがたから逃げ去ります」というヤコブの言葉とも矛盾する。

イエスの「すべての国民を弟子とせよ」とも矛盾する。

そして何よりも「地を従えよ」との神の命令に違反する。

だから、ディスペンセーショナリズムは、悪魔の教えなのである。

クリスチャンから祈りを奪うので、敵がばらまいた教えなのである。

「大患難時代とハルマゲドンは必ずやってくる」という「信仰」は、クリスチャンの地上を改革しようとのあらゆる試みを粉砕する。

クリスチャンはことごとく無能になる。

この世にいてもいなくてもいい存在になる。

いや、祈ろうとする人々の意欲を殺ぎ、邪魔するので、いてもらっては困る存在である。

ディスペンセーショナリストの教会に献金することは、神の国を妨害することになる。

あなたがディスペンセーショナリストの教会に献金すればするほど、神の国は妨害され、悪魔の国が広がる。

われわれの献金は神に覚えられており、百倍になって天に積まれる。

この地上を去ったときに、受け取ることができる。

いや、祝福されるので、地上においても一部を受け取ることができる。


与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。(ルカ6・38)

捧げる人は、お金を押し付けられ、揺すり入れられる。

しかし、ディスペンセーショナリストに捧げる人は受けられない。

「祈っても無駄だ」というような人に献金しても何もならないどころか、神の国と世界に害を与え、自分も呪われる。

御言葉に違反し、神の国を妨害するという行為は、人生の中でやってはならない第一のことである。

それは、偶像礼拝なので、殺人よりも悪い。

われわれは、現在の思潮を逆流させなければならない。

ディスペンセーショナリズムのせいで、クリスチャンや教会が、世界の弟子化を後退させている。

ディスペンセーショナリズムが繁栄したこの200年の間、イルミナティはますます成長し、彼らの邪悪な計画どおりに歴史が進み、世界政府の建設まであと一歩というところまで進んだ。

この間、クリスチャンが騙されず、祈っていれば、世界大戦も起きなかったし、日本も戦争に巻き込まれず、原爆も投下されず、イルミナティによる支配を受けることもなかったのだ。

ディスペンセーショナリズムの教会に献金し、そのために働く人はことごとく、神の国のために働く人々の足を引っ張るための努力をしている。

その人生は無駄であり、かろうじて御国に行くことができても、叱責されるだけだろう。

何も受け取ることはできまい。

主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。(ルカ12・47)

 

 

2013年6月29日



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