正義や真理のために苦しむこと


1.

創造に関して驚異的なのは、神は人間を創造されただけではなく、その遺伝子も創造されたということである。

遺伝子には、受精後の胚が、アダムと同じ種類の人間にまで発達するメカニズムがすべて書き記されている。

血管やリンパ管、神経、皮膚、骨、肉のすべてが、アダムのそれと同じになるように書き記されている。

一度も実験せずに。

これぞ神業である。

人間は、何かのシステムを構築するさいに、何度も実験をし、修正を加える。

コンピュータのプログラムでも、一度で完璧なものを仕上げるプログラマーはいない。

何度も何度も検証し、バグを取る。

しかし、神は、コンピュータのプログラムなど比較にならないほどの量の情報が組み込まれているDNAを一度も実験せずに完璧に書き込まれた。

一代で終わる人間を造るのではなく、その人間から無数の子孫を作る計画であった。

人間その個人の創造と、そこに仕組まれている遺伝子の創造はまったく別の事象である。

アダムと同じ種類の人間が生まれるように、最初からDNAにシステムが組み込まれていたというのは、まさに奇跡である。

それだけでも脅威なのだが、神は創造世界の歴史一切をあらかじめ決定された。

誰から誰が生まれるのかをすべて決定された。

どの精子とどの卵子が組み合わさるかもあらかじめ決定された。

2.

だから、夫婦の出会いは偶然ではない。

「偶然に職場に〇〇さんがいて・・・」みたいな話は、すべて人間の側での観察である。

人は一生の間に出会う人の数をあらかじめ決定されている。

その相手がどの程度の関係になるかも決定されている。

結婚相手や家族もいれば、ただ道ですれ違う人もいる。

今、この時点でまだ未知であるが、将来出会って知人や友人になる人がどこかで生活している。

自分が大きな影響を受ける人がすでにどこかにいるかもしれない。

神の側ではすべての出会いは必然であり、起きるべくして起きる。

3.

極悪の犯罪が行われても、それは、神が犯罪者の意志を抑制されなかったからである。

神が積極的に人を誘惑することも、犯罪を犯させることもない。


だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。(ヤコブ1・13)

神は、誘惑者の活動を放置される。

だから、神はこの世で起きるすべてにおいて、能動的である。

神が「思いがけない被害」をこうむることも、「思いがけない罪」に遭遇することもない。

神は、猛犬の飼い主のように、サタンの首についている紐を操作される。

その紐を伸ばしたり、縮めたりする。

ある人を罰するために、サタンの攻撃を許されることがある。

何も悪いことをしていないのに、通り魔のような事件に巻き込まれることもある。

K氏の事務所には、一時期、本当に邪悪な人々が数珠つなぎのように現れたことがあった。

道徳もへったくりもない人々である。

よくもここまで堕落できるなと思うような人々である。

こちらが神の陣営に入り、サタンに対して宣戦を布告した直後のことである。

まるで絵に描いたように、注文がぴたっと止まった。

それまで電話の音が鳴りやまなかった事務所が、静まりかえった。

現場の作業員の給料をねん出するために、借金をした。

ある人から1000万を借りたが、その仲介役の人が中抜きをした。「返しますから」というが約束は反故にされた。

それで1000万で行おうとしていた計画が狂った。

すべてが悪いほうに転がった。

結局、家主から追い出しをくらって、事務所をたたまざるを得なくなった。

4.

サタンとの闘いには、犠牲が伴う。

本気でついて来るかどうかを神は試される。

しかし、考えていただきたい。

天国では、神のために苦しむことはできない。

神のために苦しむのは、地上でしかできない。

その苦しみは勲章である。

正義や真実のために苦しむことは、最高の快楽である。

卑劣なことをやって勝利しても後味が悪い。

勝利すればすべてよし、とするのは堕落した人間である。

経済を最優先し、道徳を捨てて、今日本はつまらない国になった。

塩味がきいていない。

人生を振り返って、すがすがしい思いができるような生き方がしたい。

 

 

2015年8月15日



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