天照大神問題において妥協は絶対にしない


どうも、まだまだ誤解があるようなのでくどいようだが、説明する。

ポスト・ミレの考え方をしながら、紀元1世紀における大宣教命令の成就を否定することはできない。

ポスト・ミレとは、紀元1世紀に世界の歴史は大団円を迎えた、と考えるのである。

つまり、旧約時代が裁かれて、新天新地が到来したと考えるのである。

プレ・ミレでは、歴史の大団円は未来にあるとする。

だから、これからマタイ24章も25章も起きると考える。

最終審判は未来に起きると。

そして、今の時代において、キリストはまだ王ではないと。

再臨されてからイスラエルを中心に世界政府ができて、キリストがそこから全世界を支配すると。

このようなタイムテーブルは、実は、イエズス会が作った。イエズス会のインマヌエル・ラクンザが作った。

そして、イエズス会は、もともとアランブラドス(スペイン語で「イルミナティ」)の主導者であったイグナチウス・デ・ロヨラが創始したグノーシス主義の秘密結社である。

イグナチウス・デ・ロヨラはユダヤ人であり、創設期のイエズス会士はユダヤ人によって占められていた。

このユダヤ人とは、タルムードを信じるユダヤ人である。

タルムードとは、バビロンに起源をもつ異教(というより悪魔教)の経典である。

タルムードユダヤ人が作ったイエズス会からディスペンセーショナリズムが生まれた。

つまり、プレ・ミレ・ディスペンセーショナリズムとは、タルムードユダヤ人の教えである。

ディスペンセーショナリズムの目的は、反キリストであるローマ・カトリックを隠すことにあった。

つまり、終末において反キリストが登場すると人々を信じさせることによって、現在の反キリストである教皇を善人に見せることにあった。

また、タルムードユダヤ人による世界政府(NWO)の中心としてのイスラエルの建国を、あたかも聖書に預言されたものであるかのように見せることにあった。

そのようにして、クリスチャンがイスラエルの建国を妨害しないようになるため、いやむしろ、それを支援すらするようになるためであった。

この目論見は当たった。

現在のクリスチャンは、イスラエルをタルムードユダヤ人が建てた悪魔の国としては見ない。むしろ、イスラエルの計画を助けている。

クリスチャンは、完全にタルムードユダヤ人に騙された。

われわれの歴史観は、完全に洗脳の産物と化した。

聖書的な歴史観とは「紀元70年に、歴史は大団円を迎え、神の裁きは終了した。世界伝道も終わり、世界はキリストのものになった。大宣教命令が法的に成就し、世界がキリストのものになった法的状態を実際化するために、教会は戦っている」というものである。

これが、聖書信仰に立つプロテスタントが持つべき正統的な歴史観である。

ポスト・ミレ、パーシャルプレテリズムこそが、プロテスタントの正統的な歴史理解である。

だから、世界を「初めて福音が足を踏み入れる未開地」として扱うべきではない。

世界は紀元1世紀に「すでに福音化された」のである。

それゆえ、世界には、福音伝道が行われた痕跡が残っているはずである。

「ザビエルが日本にはじめてキリスト教を持ち込んだ」などという理解をしてはならないのである。

日本に伝道する人々は「未開の土地に種を蒔いている」という理解を捨てるべきである。

「かつて一度キリスト教国になったが、一時的に後退している土地」として理解すべきである。

「日本はもともとキリスト教国であった」と考えるべきである。

「日本はもともと弟子化された土地であった」と考えるべきである。

今、ヨーロッパやアメリカがイルミナティによって「脱キリスト教化」されている。

ヨーロッパやアメリカに伝道する人々は、「奪還者」である。

同じように、日本伝道する人々も「奪還者」である。

それゆえ、かつて伝道が行われた形跡があるならば、それをきちんと強調すべきなのだ。

天照大神はキリストである、と唱えることがいかに重要か、これで理解されるだろうか。

われわれは、単に「日猶同祖論の流行にかぶれて異説を唱えている人々」ではない。

神学的に首尾一貫した背景があるのである。

以上、これはきわめて重要であるから、何度も読み返していただきたい。

この点において、われわれは妥協することを絶対にしない。

われわれがポスト・ミレの歴史観を堅持する以上、天照大神問題において妥協は絶対にしない。

 

 

2015年5月19日



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