キリストは神の副官として世界を支配している


このジョン・ラミレスの証を見てもわかるように、悪魔は、人を所有したいのである。

なぜ人を所有したがるのか。

「人を通じて世界を破壊するため」である。

神の被造世界を自分の世界に横領したいのである。

それは、単に気象に働きかけたり、自然力に働きかけるだけでは十分ではない。

悪魔は人間を用いて世界を破壊したいのだ。

なぜならば、人間は、神の副官として世界を支配するために任命されたからだ。

悪魔はその人間を自分のために利用し、自分の意思を実行させたいのである。

聖書において繰り返し、「イエスは神の右の座に着かれた」という表現が出てくる。

これは、神の副官となったという意味である。

つまり、「本来の人間」になったということ。

本来アダムは、神の右の座について、被造世界を統治すべきだった。

失敗したために、キリストが代わりに副官として任命された。

キリストがなぜ受肉して人間にならなければならなかったのか。

1.人間を贖うため。

2.人間の頭になるため。

である。

キリストは、ご自身が贖われた人間のトップに立って、被造物支配に乗り出された。

キリストが正式に右の座に着かれた紀元70年以降、この世界は「キリストが統治する被造世界」である。


そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。(マタイ24・30)

この「人の子のしるしが天に現われます」は、

fanhsetai to shmeion tou uiou tou anqrwpou en tw ouranw

will appear the sign of the son of the man in the heaven

http://www.greeknewtestament.com/B40C024.htm#V30

である。

原語的には、en tw ouranwを「天における」と形容詞句として

The sign of the son of the man in the heaven will appear.

天における人の子のしるしが現れます。

とも訳せるし、「天に」と副詞句として

The sign of the son of the man will appear in the heaven .

人の子のしるしが天に現れます。

と訳することもできる。

新改訳は、後者のように訳しているが、前者の可能性もある。

ディスペンセーショナリズムの「再臨未来説」では、後者のように訳して、

終末になると、イエス・キリストのしるしが天に現れるのだ。

と考える。

しかし、前者のように訳すわれわれは、

天における人の子のしるしが現れます。

   →

人の子が天にいるしるしが現れます。

と解釈するのである。

紀元70年以前に、イエス・キリストが天にいて神の右に座しておられることを示すしるしが現れたのだろう。

実際、ステパノはその姿を見た。

しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、
こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」(使徒7・55-56)

ここですでにマタイ24・30の予言は成就した。

ディスペンセーショナリズムの人々が考える「何か天にしるしが現れる」終末の前兆現象を待つ必要はない。

イエス・キリストは、すでに神の右の座につかれ、宇宙の支配者になり、この地上を神の国と変える働きを開始された。

紀元70年以降、われわれの住む世界は、キリストの王国であって、悪魔の支配する世界ではない。

悪魔は自分の部下たちを奴隷としてこきつかっているのであって、われわれもこき使われているわけではない。

むしろ、われわれは、キリストの体の一部であり、キリストとともに、世界を支配する運命にある。

われわれが祈れば、それは聞かれて地上を支配しようとする悪魔の計画は破壊される。

これが、正統的な聖書の教えである。

これ以外の教えは間違いである。

どうか騙されないように注意されたし。

 

 

2014年7月16日



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