籠神社と伊勢神宮の配置は聖書の救いのメッセージを伝えている2


非常に興味深いのは、籠神社の境内に天橋立があるということだ。

天橋立は、海に浮かぶ道である。

つまり、神が紅海を割って出された乾いた地を歩いたイスラエルの話を象徴する。

つまり、籠神社はエジプトからの脱出を示す。

籠神社の奥宮真名井神社の石碑にはダビデの星(六芒星)がある。

伊雑宮の裏社紋も六芒星。

六芒星と六芒星に挟まれた直線上に、外宮→内宮→天岩戸。

旧約聖書と新約聖書のエッセンスがこの直線上に並んでいる。

ちなみに、天岩戸伝説において、天照大神は、「お隠れ」(=死ぬ)になられるが、これは刑死である。

岩戸の前に榊があり、そこに鏡がかけられた。

天照大神がその鏡を見たとあるから、鏡は天照大神本人を表す。

鏡が榊(逆木=根を上に逆さにして用いた木材のこと。縁起が悪いとされる)にかけられたのは、天照大神が刑死されたことを暗示する。

この榊は、お祓いのために神主が左右に振るが、ユダヤ人も、門柱と鴨居に塗った小羊の犠牲の血を塗る際に使ったヒソプの枝を祭壇の前で振る。

天岩戸において天照大神は刑死されたのだ。

では、何のために?

スサノオの罪をあがなうために。

神社本庁調査部長岡田米夫氏は、『大祓詞の解釈と信仰』(神社新報社発行昭和37年7月1日初版発行、平成13年2月1日22版発行)において次のように言われた。


(天照大神の)この神隠れは、国津神スサノオノミコトの罪を、天照大神が徹頭徹尾自らあがなわれ、身を隠されたことを意味する。天照大神はスサノオノミコトの罪を責められず、その改悛(かいしゅん)を最後まで期待されるとともに、常に「むつまじき心もちて相許したもう」という大きな自愛と包容力とをもって、その罪を許し、あがなわれたと書紀に見えている。

 この神隠れした大神の再出現を祈るのが、天の岩戸の祭りであって、その祈りの果てに、天照大神は再び復活され、世にいう天岩戸開きとなる。それ以後、天照大神は永遠に生き神として、輝かしい御光を私共の上に投げかけておられるのである。

天照大神は又スサノオノミコトの罪をあがなうために、一度は神隠れされるが、再び復活されて、人々に「温かい手をさしのべられ、人々の罪を許す神」として今に至って、私共の上に輝きわたられているというのが、民族古典の示すところである。

まさに、イエス・キリストの贖罪と同じである。

日本の精神的中心には、出エジプトから十字架、復活まで、イエス・キリストの贖罪の物語がある。

 

 

2012年11月6日



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