神学の重要性


もう最近のクリスチャンは、神学者を馬鹿にするので辟易する。

牧師からしてそうだ。

「神学なんて意味がない」と講壇から語るから、神学者を正当に評価できなくなっている。

どの分野、領域でも、学問を軽視したら発展しない。

土木、農業、漁業、・・・

どの分野においても、学者の意見は非常に重要である。

とくに医学の分野では、最新の研究にキャッチアップできない医者はダメ出しを食らう。

このサイトで心がけているのは、「あまり意味がない知識」を極力排除して、今問題となっている社会的事件などを聖書を通じて具体的に解釈していくことである。

神学は現実的でなければならない。

なぜならば、クリスチャンの使命は、「地を従える」ことにあるから。

だから、地上で起きている事柄、地上にある事柄を聖書と聖霊の目を通して解釈する必要がある。

われわれは学校において、ヒューマニズムの解釈法を学んだ。

しかし、聖書的解釈法を学んでこなかった。

教会でも教えてくれない。

教会では「お祈りをしましょう。人を赦しましょう。罪を悔い改めましょう」という重要な基礎事項を繰り返すだけである。

具体的に、世界情勢などについて学ぶチャンスはない。

たとえ、学ぶチャンスがあったとしても、ディスペンセーション主義に汚染されているから、変な解釈になる。

「ほら、原発事故!世の終わりは近い!」みたいな。

こういう異端的な解釈を教えられても、信徒の側から見て、意味はない、いやむしろ、非常に有害である。

震災で亡くなっている人々を目の前にして「終末が近いのだから仕方がない。サタンはさらにひどいことを世界中でやるだろう。そして、最終戦争において無数の人々が死ぬ。しかし、これは聖書に記された運命なのだ。われわれには何もできない」としか考えることができない。

だから、クリスチャンは、ボランティアで汗を流しているノンクリスチャンよりも悪い。

ノンクリスチャンは、そんな変な終末論を信じていないから、「人を助けよう」という気持ちになるが、クリスチャンは、「どうせ何をやってもだめだ」という気持ちであるから、人助けをする動機が生まれない。

いや、むしろ、「こういう悲惨な出来事が起きれば起きるほど再臨が近いので、われわれの救いも近いのだ!」と考えているから、テロを行う人々と同罪である。

犯罪を助長している。

「神様、反キリストの勢力を潰してください」なんて祈ったら、黙示録の預言が成就しなくなる。そうしたら、携挙もなくなる。自分は死を見ることなく天に昇るチャンスを失う。

「じゃあ、祈らない」と考えても不思議ではない。

正しい神学的な知識を与えられていないために、多くのクリスチャンが非常に邪悪な霊に翻弄されている。

イルミナティの仲間になっている。

どの領域においても、問題を整理してくれる専門家が必要なのだ。

その意味で、私は、ラッシュドゥーニーやゲイリー・ノースの著作を翻訳して紹介する仕事は貴重だと考えている。

 

 

2011年5月17日

 

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