人の評価によって御国は発展するのではない


私は何度も自分の所有をご破算にしてきた。

船に付着したフジツボのようなものを全部そぎ落としてきた。

フジツボが着くと速度が落ちる。

「そんなことをしていたら人数が集まらない。大きな運動にならない」と言われても、意に介さない。

聖書的でない運動など継続しても意味がない。

聖書が最高権威であり、その教え以外のものを持ち込む人々がいくら増えてもいかなる意味もない。

神が望まれるとおりに行うことが大切だと考えている。

千人教会を作るとか、どうでもいい。

自分が聖書的ではないことをしているなら、悔い改める。

そうではないのであれば、自由を行使する。

支持者がゼロになろうがどうでもいい。


各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。(1コリント3・13)

われわれの仕事は、いずれ火によって試される。

燃えてしまうようなものをせっせと作っても無駄である。

火で焼け残って、わずかにしか残らなくても、その残り渣から神は御国を発展させてくださる。

神は全能であり、われわれが築き上げたものの量に依存されない。

あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。(マルコ12・10)

神の国では、人間が見捨てた石が、礎石となる。

人の評価によって御国は発展するのではない。

 

 

2018年10月8日



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