絶望を与える教育から希望を与える教育へ


(1)

われわれは学校教育を通じて、「知識の基準は人間理性だ」というヒューマニズムの「ものの考え方」を叩き込まれた。

だから、神すらも証明しようとする。

ヒューマニズムの考え方はこうだ。

1.まず自分がいる。自分がいることを疑うことはできない。

2.自分を含む人間の判断は絶対である。神をも相対化できる。科学的に証明した以外のことを信じるべきではない。

3.しかし、科学的に証明できる以外のことも、自分の考えによって判断できる。

明らかに2と3は矛盾しているが、この矛盾こそがヒューマニズムの主要な点である。

つまり、世界は、科学的証明によって知ることができるとすると、科学的証明が及ばない死後の世界、キリストの処女降誕、人生の意味などについて知ることができないとなる。

しかし、それではやっていけないので、何らかの決定をする。

その決定の可能性には論理的妥当性はないが、しかし、「人間には決定する権利がある」という前提を立てているので、それを行うことができると考える。

つまり、ヒューマニズムとは人間が神になることである。

客観的には知り得ないことでも、自分がそう決定したら、それでいいのだ、という立場である。

ヒューマニズムは、人間に宇宙の再構成者としての権限を与える世界観である。

だから、道徳も自分で決定できる。

「人を殺すことは悪だ」ということを科学的に証明することはできない。

科学自体は、善悪を決定できない。

ユーチューブにカーティス・ルメイを賛美する動画があった。

カーティス・ルメイは、東京大空襲で10万人の一般市民を一晩で焼殺した男である。

彼はアメリカ人にとって英雄である。

祖国を救ったと。

日本の魔の手から世界を救ったと。

日本人からすれば悪の権化である。

ヒューマニズムでは絶対的基準がないから、道徳は、立場によってどうとでも変わる。

今でもアメリカ人の60パーセントは原爆投下が正しかったと思っている。

こういう判断が許されるから、結局のところは、「戦勝国がルールだ」になる。

弱肉強食になって、弱者は泣き寝入りするしかないということになる。

こうなると、子供への教育は不可能になってしまう。

「強くなりなさい。強くなれば道徳なんて関係ないから」と教えるしかなくなる。

そういう教育の結果が今の中国や韓国である。

しかし、歴史を見て、力に頼って帝国を確立しても、すぐに滅びる。

なぜならば、神は「悪人をもみがらのように吹き飛ば」されるから。

ヒューマニズムは、絶望の教えである。

それは、人々を不道徳に導く。

そして、自滅させる。

(2)

聖書的キリスト教は、この世界をキリストの王国と見る。

紀元70年にキリストは、神の契約をすべて成就された。

法的に世界は神の国になった。

そのため、この世界は、善が絶対的に支配している。

悪が栄えることがあっても、それは一時的である。

だからわれわれには「耐え忍んで主を待つ」ことが求められる。

われわれの人生で起こるすべての不条理は、一時的なものであり、忍耐すべきものである。

「悪が支配して終わる」とあきらめる必要はない。

われわれの任務は、耐え忍んで約束を待つことである。

この世界は神が絶対的に支配しているからすべての悪は滅ぼされると信じて待つことである。

キリストの最終勝利はすでに法的に成就しており、実際的にも必ず成就する。

歴史が進めば進むほど、神の国は拡大する。

悪が進展しているように見えるのは、神の深い配慮のゆえである。

世界を清めるために、問題を顕現化する目的で許可されているのである。

われわれの側では、神の目的にしたがって、行動するだけである。

(3)

ヒューマニズム教育は人間に自由を与えるようで、実際は絶望と不道徳を与える。

だから、より頼むものを失った子供たちが、未来に希望を持てずに、引きこもりになったり、自殺したりする。

すべての問題の根源は、「自分を出発点にする」という前提である。

聖書的キリスト教では、創造前の神の自己認識を認識論の基本にするから、「それ以上さかのぼるな」と教える。

世界が創造される以前に神しかおられなかった。

その神の三位の互いの間での知識こそがすべての知識の基準である。

それ以上さかのぼることはできない。

なぜならば、世界は創造されていないので、神以外に存在していないのだから、神を裁く基準はないからだ。

ヒューマニズムは、「いや、神を裁く基準は存在する」と考える。

そして、「それは人間理性だ」と。

ヒューマニズムは、存在の根源を人間に置く新興宗教なのである。

完全に論理的に破たんしている。

(4)

学校を卒業する子供たちは、すべて「自分こそが基準だ」と考えている。

だから、親の世代には考えられないような「道徳」を身に着けている。

こういう間違った教育がここ200年続いてきた。

人類の迷走は極限に達しようとしている。

解決は聖書的キリスト教しかない。

聖書的キリスト教によって「必要以上に疑わず」確信を持って建設的な人生を送る子供を育てることが求められている。

 

 

2014年2月21日



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