信仰者を迫害しても無駄である


私は、人間の集団とか、組織とか、どうでもいいと思っている。

学位がどうだとか、どうでもいい。

米国の神学校で勉強したか、PhDを持っているかとか、どうでもいい。

個人的に自分の落ち度によって運動が停滞するのは悔しいし、責任を感じるが、しかし、それもたいしたことはない。

なぜならば、「予定されているから」。

勝利は予定されている。

真理は必ず勝つ。

偽りがあるとする。

われわれが真理を示すと、消える。

なぜか。


ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。(ヤコブ4・7)

悪魔はわれわれには勝てないからだ。

善と真理が勝利するように世界はできている。

そして、歴史は、そのような結末を迎えることに、すでに決定されている。

だから、われわれがたとえ命を失ったとしても、たいしたことはない。

われわれが消えたとしても、神は別の人間を起こされるだろう。

そして、歴史は必ずキリストの勝利の方向に向かう。

われわれを攻撃しても無駄だ。

迫害者の攻撃の対象は、われわれではなく、神ご自身だから。

神と戦って何になるのか。

神は、歴史のすべての過程を予定され、すでにキリストの御国の勝利を決めておられる。

その計画を寸分たがわず実行しておられる。

素粒子の運動すべてが支配され、計画どおりに動いている。

あと1000年後にどういう人が生まれるかすでに決定している。

われわれは、みな永遠の昔、万物の創造以前に予定されていた。

われわれが生まれてくることが決定されていたとすれば、われわれの両親が誕生し、結婚することも予定されていた。

その両親の両親も誕生し、結婚することも予定されていた。・・・

われわれが生まれるためには、両親のどの精子と卵子を授精させるかも決定されていた。

アダムが造られて、われわれに至るまでの道筋は、すべて細胞レベルで決定され、その決定どおりに進んできた。

だから、偶然は一つもない。

すべては必然である。

もし、原爆が投下されずに、ソ連の参戦が大きな意味を持っていたら、北海道はソ連に占領されていたかもしれない。

そうすれば、戦前、本州にいた私の父親と、北海道にいた母親は結婚できなかったかもしれない。

そうなれば、私は今存在しないことになる。

しかし、聖書では私が天地の創造以前に予定されていたと記しているので、原爆投下も必然だったということになる。

だからといって原爆投下に賛成しているわけではない。

あのようなことは絶対にあってはならない。

原爆投下を決定した人間は呪われるべきだと思う。

しかし、神がそのような道筋を永遠の昔に決定された。

これはどうしようもないことだ。

戦争で誰がどのように殺されるかも決定されている。

彼は来てエジプトの国を打ち、死に定められた者を死に渡し、とりこに定められた者をとりこにし、剣に定められた者を剣に渡す。(エレミヤ43・11)

「剣で切り殺されるように定められた」人がいる。

人間の側からすれば、とんでもない、ということになる。

しかし、われわれは、被造物であり、神は創造者である。

われわれの幸不幸のために神が存在するわけではない。

だから、そのように定められたのであれば、その定めを受け入れるべきである。

万人は神の栄光のために創造された被造物にすぎない。

永遠の滅びに予定された人は気の毒であるが、そのように神が決定されたのであるからしかたがない。

そのような人は、自分が犯した罪の責任のために永遠に苦しむ。

神の側に不正はいっさいない。

もし、その人が「完全無欠」の人であったら神に不正があるということになるが、その人は確実に「地獄にふさわしい罪を犯した」。

だから、当然の刑罰を受けているにすぎない。

しかし、アダムの子孫はみな原罪を背負って生まれてくるわけだから、罪を犯さずに生きることは不可能である。

だから、当然の刑罰を受けているのであるが、われわれから見れば気の毒である。

原罪を背負い、霊的に死んだ状態で生まれてきて、神の選びがない限り、信仰を持てないのであるから、自分の罪の刑罰を受けるように定められて生まれてくるということは、その人の側から見れば不幸そのものである。

しかし、この世界は人間を中心には回っていない。

聖書を読むには、視点を神に移さねばならない。

そうしないと、すべてを誤解することになる。

「それは、ひどい。そんなひどい神なら信じたくない」というだろうか。

それは、その人の自由だ。

しかし、神に誰も勝てないのであるから、そのような抵抗は自分を滅ぼすことにしかならない。

神に逆らう人は、敗者である。

われわれは、あくまでも神の視点に立ち、ひたすらに神の論理で考える。

われわれは、被造物として当然の思考方法を選択する。

自分を中心に世界を回そうとする人には付き合わない。

そのような人がわれわれを迫害しても、神に敵対するだけだから、悲惨な結果を身に招くだけだ。

神は圧倒的な力で、その人々を押し潰す。

「そんな宗教は日本人に合わない」というだろうか。

日本人に合うか合わないか関係ない。

問題は、選びだからだ。

人気が出るような教えにつくりかえる必要はない。

選ばれた人は、強引に信仰のほうに引き寄せられる。

神は、少数の選ばれた人々を通じて、圧倒的大多数の不信仰者をなぎ倒し、御国を前進させる。

人気とか、人間の勢力とか、まったく無関係に御国は前進する。

だから、信仰者を迫害しても無駄なのだ。

 

 

2015年5月26日



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