使徒たちはポスト・ミレを信じていた2



そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。
それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。
このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。
モーセはこう言いました。『神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。
その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。』
また、サムエルをはじめとして、彼に続いて語ったすべての預言者たちも、今の時について宣べました。
あなたがたは預言者たちの子孫です。また、神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける。』と言って、あなたがたの先祖と結ばれたあの契約の子孫です。
神は、まずそのしもべを立てて、あなたがたにお遣わしになりました。それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。(使徒3・19-26)

(1)
「回復の時」「万物の改まる時」は紀元70年に来た。

だから、主は天にとどまるのをやめて、遣わされ、旧約世界を裁かれた。

キリストは、紀元70年にイスラエルを裁かれ、サタンを足台とされた。

だから、紀元70年以降、サタンは縛られており、幽閉されており、足台となっている。

ディスペンセーション主義が言うように「サタンは王」ではないのである。サタンは、キリストの足の下でうずくまっている。(*)

(2)
紀元70年に万物が更新し、千年王国が開始した。

だから、黙示録17-19章においてイエスは来臨された。

この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。(黙示録17・14)
神のさばきは真実で、正しいからである。神は不品行によって地を汚した大淫婦をさばき、ご自分のしもべたちの血の報復を彼女にされたからである。(黙示録19・2)
また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実。」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。
その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。
その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。
天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。
この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。(黙示録19・11-15)

これは、いわゆる万物の裁きを行う歴史の終わりに起こる「再臨」ではない。

これは、イスラエルを裁くための来臨である。

なぜならば、このキリストが裁くのは、大淫婦であり、獣であるから。

大淫婦とは、獣と偽預言者との間に悪の三位一体を作るそれである。もちろん、獣はローマ帝国及びネロであるから、この大淫婦は21世紀のイスラエルではない。

それゆえ、このイエスの来臨をディスペンセーション主義がいうところの終末の「再臨」と見ることはできない。

では、いわゆる世界の終末の再臨はどこに書いてあるのだろうか。

それは、サタンの最後の反逆が起こる千年王国の終わりであろう。

しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、
地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。
彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。
そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。(黙示録20・7-11)

私は、この点においてケネス・ジェントリーの立場を取る。

プレテリズムの中でもフルプレテリズムは、再臨が紀元70年に起きたというが、パーシャルプレテリズムは、再臨は未来にあるという。

フルプレテリズムの問題は、紀元70年に再臨が起きたならば、サタンが活動し、悪霊が活動するこの世界が永遠に続くということになり、キリスト教が善悪二元論のゾロアスター教かマニ教になる。

悪が永続するなどという考えは、聖書にはない。

(*)
1.世界に広く分布するゲオルギーの物語はこれをよく表現している。伝道者を意味する勇士が竜を退治する話である。ロシア正教会に行くとゲオルギーのイコンがある。

(私は、この話が古事記に入り、スサノオのヤマタノオロチ退治となったと考えている。だから、スサノオ信仰を持つ物部はクリスチャンだったと考える。)

2.じゃあ、その後の千年王国の時代にイエスは天におられないのか、という疑問があるが、聖霊が地上において働かれている以上、天におられなければならない。

しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。(ヨハネ16・7)

 

 

2011年5月26日

 

 ホーム

ツイート

 





millnm@path.ne.jp