イスラエルは旧約聖書の成就としてではなく聖書経綸の結果として建国される
本HPが、イスラエルの地とユダヤ人を引き離し、イスラエル建国とユダヤ人の「パレスチナ」領有の正統性を否定しようとすると考える人々がいるが、違う。
われわれの立場は、イスラエル建国とユダヤ人のパレスチナ領有は、キリストにおいて成就したと考えるのだ。
なぜならば、キリストは「律法と預言者(つまり、旧約聖書)を成就するため」に来られ、十字架上で「完了した」と言われたからだ。
イスラエル建国とパレスチナ領有は、ロスチャイルドによって主張されてきた。
彼らシオニストたちは、その根拠をアブラハム契約に置く。
つまり、アブラハム契約でアブラハムに約束された領土はナイル河からユーフラテス河までとあるからと。
しかし、彼らはイエスをメシアと考えていないので、アブラハム契約はまだ成就されていないと考える。
われわれは、イエスをメシアと受け入れ、イエスが新約聖書の主張のとおりに旧約聖書を成就したと考えるので、アブラハム契約の領土の約束はイエスにおいて実現したとみなすのである。
ディスペンセーショナリズムは、シオニズムなので、ロスチャイルドの見解に従っており、アブラハム契約は成就していないとみなす。
ディスペンセーショナリストたちは、クリスチャンなのに、イエスをメシアととらえず、イエスが旧約聖書を成就したと考えない。
非常に大きな矛盾を含んでいる。
私は、プレ・ミレ・ディスペンセーショナリズムは、イエスをメシアとして迎えない立場であり、異端と考える。
もしイスラエル建国がアブラハム契約の成就であるとするならば、では、その他の再建預言も成就するとみなければならない。
たとえば、神殿が再建されると。
事実、ディスペンセーショナリストたちは、近い将来第3神殿が復活するという。
神殿が復活したら、次は当然犠牲の儀式が始まる。
神殿とは、犠牲の儀式がなければ無意味だからだ。
犠牲の動物が殺されてその血が至聖所の契約の箱のところに注がれて贖いが成就しなければならない。
おわかりだろうか。
こういうことが復活するならば、イエス・キリストの十字架は無にされてしまうのだ。
あるメシアニック・ジューの関係者から聞いたが、イエス・キリストの十字架の出来事の後に、祭壇でいけにえを捧げ、その血を携えて至聖所に入った祭司が立て続けに死亡し、そのため、祭司の足に綱がつけられたという。
他のいかなる人も至聖所に入ることはできないので、死亡した場合、引きずり出すしかないからだ。
このように、もし現在のイスラエル建国が旧約聖書の預言の成就であると考えるならば、他のすべての祭祀制度も復活させなければならず、そうなると、イエス・キリストの十字架の意味がなくなってしまうのである。
(2)
われわれは、イスラエル建国や現在の世界情勢を聖書の成就としてはならない。
なぜならば、それらは、イエスによって成就したから。
イエスの復活・昇天後、世界はイエス・キリストのニュー・ワールド・オーダーになったのだ。
新しい世界になった。
旧約聖書の契約と預言はすべて成就した。
これから来る世界は、イエス・キリストのニュー・ワールド・オーダーの体制の中において、次第に悪魔の陣営が滅ぼされて、キリストの王国らしく正義と愛の支配する場所に徐々に変わるのである。
今のイスラエル建国や世界情勢を聖書の預言の成就とみる見方は、ロスチャイルド・イルミナティの見方である。
ジョン・コールマンによると、イルミナティ三百人委員会は、「われわれはダービー卿のキリスト教原理主義をこれからも支持する」と述べたという。
ディスペンセーショナリストは、無意識の、もしくは、隠れイルミナティなのである。
(3)
ディスペンセーショナリズムは、現代の最大の異端であり、ほとんどすべての福音派の教会とクリスチャンを支配している。
この思想はきわめて有害であり、クリスチャンに世界を変えることをあきらめさせる働きがある。
(4)
私は、イスラエル建国の聖書的成就としてはみないが、しかし、イスラエルの復活の文脈で可能性を見ている。
ユダヤ人が信仰において神のもとに帰るならば、領土においても回復するのではないか。
イスラエルは紀元70年において2つに分かれた。
羊系ユダヤ人と山羊系ユダヤ人。(マタイ25章)
羊系は、クリスチャン。山羊系はノンクリスチャン。
羊系は、シルクロードを通って日本についたと考える。
山羊系は、世界に散った。
そして、今や世界を支配している。
イルミナティのユダヤ人は、山羊系ユダヤ人の子孫である。
しかし、彼らもユダヤ人であるからには、最後には復活する。
悪魔の陣営から神の陣営に戻る。
その場合、イスラエルが建国されるのではないか。
聖書預言の成就としてではなく、聖書の経綸の必然的結果として。
羊系ユダヤ人の国である日本と、山羊系ユダヤ人の国であるイスラエルが2つそろって実現するのが、至福千年期における世界の体制ではないかと考える。
2012年9月18日
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