フルプレテリズムは善悪二元論の異端である
1.
主権の確立には、法的と実際的の二つがあります。
たとえば、おカネを出してアパートの権利を得たら「アパートに対する法的な主権の確立」。
立て替えをしてマンションを建てたいが、アパートの住民が出ていかず、計画が延び延びになっている場合、「実際的な主権」は確立されていない。
住民が出て行って、立て替えが可能になれば、それは確立される。
紀元70年の再臨において成就したのは、法的な主権であって、実際的な主権ではありません。
キリストは全世界に対する法的な主権を確立された。しかし、実際的にはまだ確立されていない。
当時の世界にはノンクリスチャンがおおぜいいて、奴隷制度があり、数々の悪魔的な風習がはびこっていた。
この実際的な主権は、福音伝道と教育を通じて徐々に拡大される。
その漸進的な拡大が完成したときに「全世界に対するキリストの実際的な主権が確立された」ということになる。
この2つを混同しているのがフルプレテリズム。
紀元70年に実際的な主権も確立された、と教える。
もしそうならば、現在世界において悪魔はなぜ働いているの?
しかし、フルプレテリズムは「キリストの実際的な主権は紀元70年に確立された」と教える。
今が22章の新天神地なら、今のように悪魔が働く状態が、永遠に続くということになる。
これは、善も悪も究極であり、両者は「永遠に存在し続け、戦い続ける」と考える善悪二元論。
マニ教やゾロアスター教と同類の教え。
2.
「すでに復活が起こったと言って…信仰をくつがえして」いるのですね。
今が22章の新天神地なら、悪が栄え、涙も叫びもある状態が「御心」そのものであり「御国」そのもの、神様の創造の目標であったことになります。
「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(1テサロニケ4・16-17)
2019年5月24日
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