日本人は英語をやらないとだめ2


できれば、英語のほかにフランス語やドイツ語など主要言語を学ぶとさらに自分を武装できます。

私の場合は、ロシア語を専門とし、防衛省や内閣府や大学からの依頼を受けて翻訳を行ってきたおかげで、軍事や諜報をはじめ、電磁波、チェルノブイリ問題、歴史などじつに多様な一次情報と接することができました。

仕事の関係の情報は秘匿義務があるので、公表はできないのですが、多角的に問題を見る機会に恵まれてきたので感謝しています。

先日も、ある書き込みで「プーチンがイルミナティと戦うことを2016年の年頭あいさつで述べた」という記事があったので、ソースを直にあたると、まったくそんなことは言っていないことが判明しました。

神学関係でも、ギリシャ語やヘブル語の知識があるとないとでは、聖書理解に雲泥の差が生じます。

エホバの証人は、キリストは神ではないということを主張しますが、それを証明するためにギリシャ語を利用します。

ヨハネの福音書の「言葉は神であった。」の「神」は、原語では無冠詞なので、それは、英語の不定冠詞aと同じ意味だと主張します。

「だから、それは、神ではなく、神のような方a Godである」と。

しかし、ギリシャ語では、定冠詞のοがつかない状態であっても、名詞は、英語のtheと同じように限定の意味が含まれているので、θεοsは、a God ではなく、the Godという意味になります(つまり、普通の意味である「神」と訳することができます)。

定冠詞のοがつくと(ο θεοs)、さらに限定の意味が強くなり、アイデンティティが強調されます。つまり、「ほかでもなく、まさにその神(the very God)」というニュアンスがつきます。

有名なギリシャ語の教科書であるDana and Mantey の A Manual Grammer of New Testament (Mcmillan Company, Toronto, Canada)には次のように記されています(p149-150)。

「事物の同一性(アイデンティティ)を強調する場合、冠詞をつけ、質的側面を強調する場合、冠詞を付けない。つまり、冠詞を付けないと、名詞の性質面が強調される」

それゆえ、

θεοsでは、神の性質的側面が強調され、
ο θεοsでは、神のアイデンティティが強調されているので、

「θεοsだから神ではない」とは言えないのです。

このように、自分が扱う分野において、関連する言語を習得することは、非常に有益です。

 

 

2016年4月29日



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