1.
われわれは共通して、同時期に試練にあっているようだ。
私も、実生活及びネット上で嫌がらせにあった。
これは、レントからイースターにかけての時期であった。
例年、この時期にはサタンが活発に活動するようだ。
私は教会で不正裁判にかけられたことが2回あるが、いずれもこの時期であった。
受難日(金曜日)に裁判が行われ、日曜日に解放されるパターンであった。
2.
ある非常に神と聖書に忠実で、神の国に多大な貢献をされ、信仰を誠実に実践し、成功しておられる夫妻がビジネス上でものすごい攻撃を受けられた。
聖書的な活動に対して悪魔的な人間が成功を妬み、徒党を組んで中傷し、つぶしにかかった。
私も毎日、この一味に裁きが下るように祈ってきた。
神の働きに対するこのような悪魔的な攻撃は絶対に許せない。
神の国への妨害が、妨害者自身にどれだけの損害を与えるか、彼らは無知である。
普通の人間に対する攻撃とはわけが違う。聖書を行おうとする人間に対する攻撃は、神に対するそれである。
エリシャはそこからベテルへ上って行った。彼が道を上って行くと、この町から小さい子どもたちが出て来て、彼をからかって、「上って来い、はげ頭。上って来い、はげ頭」と言ったので、
彼は振り向いて、彼らをにらみ、主の名によって彼らをのろった。すると、森の中から二頭の雌熊が出て来て、彼らのうち、四十二人の子どもをかき裂いた。(2列王記2・23-24)
子供の悪ふざけに対して呪うとは大人げないというなかれ。
子供42人が死亡したので、預言者エリシャをバカにしたのは、かなりの集団である。
これは、氷山の一角であり、この町全体がエリシャに対して敵意を持っていたことを示している。
ラミレスという伝道者は、かつて悪魔崇拝者であった。
幽体離脱ができ、町々を巡っては、次々と呪いをかけていた。
しかし、クリスチャンが祈っている町に呪いをかけることはできなかった。
霊の働きは、町単位である。
もちろん、家単位や国単位の働きもある。
霊の支配は、空間的である。
大学時代、学園祭で一部屋を借りて、聖書に関する展示と無料喫茶店を開いて伝道していた。
近くの教室で、ある密教系の団体が同じような活動をしていた。
私は異様な霊気を感じて、鴨居から中に入ることができなかった。
あるアメリカのクリスチャンのグループの楽屋に、ヘビメタバンドのメンバーが入ろうとしたが入口で固まってしまい、一歩も入れなかったという。
霊にとって、地上の空間的結界は意味がある。
過越において門柱と鴨居に血を塗ったのは、その家と外部との間に結界を作るためである。
仏壇が置かれている部屋に流れる霊気とその他の部屋のそれとは明らかに違う。
霊は、結界で仕切られ、支配者が変わることがある。
おそらくベテルという町は、当時、非常に神に逆らう霊に支配されていたのであろう。
預言者に入られることを嫌った悪霊が、子供を動かして、バカにするように仕向けたのであろう。
つまり、これらの子供たちは、神の国の到来を妨害したのである。
神の国の働き人が呪うならば、妨害者は撃退される。
神は預言者の「主の名によ」る呪いを聞かれ、二頭の雌熊を呼び寄せ、攻撃するように命令された。
神は、人を裁かれるときに、動物をも利用される。
理性のない動物をも意のままに利用できる存在に逆らうのは、愚か者である。
神の国を妨害する者は、人間はもとより、動物や物体による襲撃にも備えるべきである。
3.
ミレニアムを支援してくださるある牧師先生は、講壇からポスト・ミレを語りだしたところ、すぐに近所にエホバの証人が頻繁に訪れるようになった、と言われた。
これも一種の妨害であり、悪霊による反撃であろう。
ミレニアムの昔からの支援者である、聖書に非常に忠実なあるお医者さんの場合、ポスト・ミレ、セオノミストの立場を取り始めると、職場や家庭で無数の攻撃が始まり、精神的にも深刻なうつ状態に陥ったが、その後奇跡的に勝利された。
今では専門分野において、日本における中心的存在として活躍をされている。
ミレニアムの働きを開始してから、私は読者の感情に無関係に神に示されたままを語ってきた。
そのため、無数の妨害を受けてきたが、どの妨害者も深刻な裁きを受けてきた。
聖書に忠実になろうとするクリスチャンの苦しみと、彼らを妨害する者の苦しみは、質的にまったく違う。
悪者の家は滅ぼされ、正しい者の天幕は栄える。
人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。
笑うときにも心は痛み、終わりには喜びが悲しみとなる。(箴言14・11-13)
神の国の妨害者の特徴は、「自分の道に妥協する」「心から笑えない」「最後に悲しむ」「死と滅び」である。
神の国を妨害して楽しいわけがない。
それは、「死の道」である。
自分の目には、それは「まっすぐに見える」。つまり、自分がやっていることが理に適っており、攻撃することによって神や人々に利益を与えていると思い込む。欲望が理性に勝るので、自分をだますしかない。
「笑うときにも心は痛」む。心の奥底において自分が間違ったことをしているという後ろめたさがあるから、すがすがしさがない。心から笑えない。
「終わりには喜びが悲しみとなる」。つまり、妨害が成功したときに喜ぶが、結局、それはすべて無駄になり、ただむなしさと悲しみだけが残る。自分を傷つけただけであったと悟る。
共謀したグループは、メンバー同士、互いに裏切りあい、憎みあう。
「悪者の家は滅ぼされ、正しい者の天幕は栄える。」
つまり、妨害者は家ごと滅ぼされる。家族も巻き添えにして地獄に叩きこまれる。
神の国のために戦った者は、子々孫々にまで祝福が及び、繁栄する。