(1)
「神なんて関係ない。人間だけでやれば幸せになれる」と考えてやると、全部失敗する。
この世界は、キリストによって贖われ、キリストの王国となった。
マタイ24章が成就した紀元70年にこの体制はできた。
キリスト抜きの体制は、この世界最高政府に逆らうことになるので、潰される。
ソ連は、この顕著な例である。70年経たないうちに滅んだ。
カントの理想郷、人間王国を作った国では、大虐殺が起きた。
ステファヌ・クルトワは、『共産主義黒書』において具体的数字を示している。
20世紀に全世界で猛威を振るった共産主義の犠牲者数が具体的に書かれていることです。つまりソ連で2,500万人、中国で6,500万人、北朝鮮で 万人、カンボジアで200万人…と、合計すると約1億人が犠牲になったとしています。これらの数字はいい加減に概算したものではなく、各国で出版された生存者の数多くの告発記録に加えて、ソ連崩壊後にアクセスできるようになった公文書を綿密に検討して出てきた数字です。
http://www.malaysia-borneo.com/local-japanese2/info/8.html
人間だけでやろうとすることは、悪魔に従うことに等しい。
エバはエデンの園でこの誘惑にかかった。
悪魔は「神はあなたがたが幸せになることを妨害している」と誘った。
「神の法なんて破ってしまえ。そうすれば、幸せになれる」と誘った。
結果は逆だった。
祝福の園から追い出された。
今ディスペンセーショナリズムが伝えている「クリスチャンは律法に縛られない」という教えは、サタンの誘いである。
世界が神によって創造された以上、政教分離は幻想であり、政治の宗教的中立などありえない。
だから、戦後日本に広がる、公共の場からの宗教色の追い出しは、単なる悪魔の支配領域の拡大にすぎない。
アメリカでは、公共の場から十字架が取り除かれている。
ソ連の失敗を後追いしているのである。
神を捨てて何が来るか。
大虐殺だ。
スターリンが悪魔に憑依されたように、アメリカの指導者も憑依される。
そもそもナチス・ドイツに資金提供していたのが、ブッシュ家だったわけだから、アメリカでそれが起きても至極当然なのだ。
一日も早くアメリカのクリスチャンは目を覚ましてほしい。
ディスペンセーショナリズムから離れて、聖書に帰ってほしい。
(2)
神礼拝と祈りがなくなると、神抜きの生活がはじまり、サタンの支配が強くなり、憑依が起きる。
自分がサタンの攻撃を強く受けている場合、試練の場合もあるが、自分が原因で起きていることもある。
ちゃんと礼拝と祈りの生活をしているか確認する必要がある。
ディスペンセーショナリズムやリベラルやニューエイジの影響を受けていない集まりが日本中に作られることを望む。
(3)
誤解していただきたくないのは、私は神社で拝むことを勧めているのではない。
神道の起源がキリスト教であったと述べているだけである。
神社には数多くの異教的要素が入っている。
たとえば、靖国神社の人間崇拝である。
靖国神社を否定すると愛国者ではないと見られるかもしれないが、真の愛国者とは、真理を求めるものであるはず。
人間を崇拝対象にすることは聖書において厳禁されている。
(4)
空海についても、私は空海がキリスト教であったと述べているのではない。
彼はたしかに景教(ネストリウス派キリスト教)の寺院で洗礼を受けている。
そして、真言宗では同じ形式の灌頂と呼ばれる儀式を行う。
だからといって、真言宗の寺院をお参りすべきだといっているわけではない。
空海は、日本について何らかの秘密を握っていた。
それがキリスト教と関係があるのではないかと言っている。
(5)
今日、左翼に行っても右翼に行っても、全部世界統一政府を作る人々の網が張られているので、洞察力がないと騙される。
偽者を掴ませられない一番の方法は、本物と触れることである。
鑑定士の訓練は本物をたくさん見ることだという。
幸い、私は福音派の教会によるというよりも、大学の聖書研究会で信仰を養われた。
そこで、聖書そのものを勉強した。
福音書は、同じ記事が重なっている。
しかし、福音書ごとに、その意味は異なっている。
文脈から読まないと間違う。
同じ奇跡の記事でも、それが置かれた文脈によって何の目的で使用されているか変わってくる。
これは、聖書を自分で読むしか方法がない。
そうやって聖書を研究することによって、変な色がついた思想から脱することができる。
(6)
イルミナティの影響を濃厚に受けている今のキリスト教の場合、クリスチャンを世界支配から遠ざけようとする力が強く働いているので、政治について興味を持つことはご法度である。
「それは、信仰的ではない」と批判される。
フリーメイソンの政教分離の神話に騙されている。
人類に与えられた基本命令は「地を従えよ」である。
これを軸として、神学を再編しない限り、宗教改革の精神には戻れない。
(7)
このHPでは、きわめて重要なエッセンスを分りやすく説明している。
学ぶべき基本中の基本を繰り返して述べたつもりである。
ヴァン・ティルの思想の中心、ラッシュドゥーニーのそれ、ゲイリー・ノースのそれ、そして、ノンクリスチャンの思想のそれ。
普通の哲学書を読んでも、ちんぷんかんぷんである。
分かりやすく説明しようという努力がない。
というか、わかりやすくすると、ぼろが見えてしまう。
ノンクリスチャンの思想の中心は「神を追い出して人間だけでやろう」である。
そのために理屈をこねて難しいことを言っている。
バルトにしてもリベラルにしても、突き詰めると同じところに行きつく。
そういう人間王国建設の野望を見抜いて、的確に指摘をしているクリスチャンの書籍は、再建主義しかない。
再建主義とは、宗教改革の発展型であり、近代思想を理解した上でそれを批判し、その上に立っているので、これを超えるものはない。
バルトなどをやっても、騙されて、むなしい言葉の洪水に溺れるだけだ。
無駄なもの、雑草のようにからみついているものを、全部取り去って本質だけを抽出する知性を養わない限り、われわれは、むなしい時間を費やし、人生を無駄にしてしまう。
このHPでは、その本質を取り出して紹介しているので、多くのむなしい書物を読むよりもはるかに利益がある。
私の半生のほとんどすべては、この雑草を刈る作業に費やされたと言って過言ではない。
いったん本質が見えると、書物を読んでも理解しやすい。
本質なしでいろんな書物を読むと騙されて無駄な時間を使う。
どの道でもそうだが、先人が築いてくれた基本の型がある。
教会や神学校では、それをきちんと教えてほしい。