ポルポトのカンボジア大虐殺は、世界政府の人々にとって実験でしかない。
将来、数十億人の大虐殺を行うためにもっとも効率のよい方法を模索しているのではないか。
サタンがやりたがるのは、昔から同じである。
人殺しである。
悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。(ヨハネ8・44)
「初めから人殺し」とは、「本質が人殺し」であるということ。
ときどき情が湧き、たまにはいいこともするというような存在ではない。
最終目的は常に人を殺すことである。
サタンには「真理がない」。そのため、「真理に立」たない。
真理ではなく、工作活動、策略、謀略、陰謀によって、世界を動かそうとする。
「彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしている」。
悪霊に憑依されている人は、憑依の程度が大きければ大きいほど、嘘を平気でつく。
なぜならばそれが「自分にふさわしい」から。
真理を語ると、自分らしくないので、行動がぎこちなくなる。
四六時中嘘をつく人間としばらく行動をともにしたことがあるが、気が狂うかと思った。
何が真実で何が虚偽であるか、一つ一つ判別しなければならないので、本当に疲れる。
憑依されているため、行動に一貫性がない。
最後に大きな穴を作られて、落ちた。
この経験から、悪人とは一緒に行動してはならないと悟った。
彼は、最後に必ず騙しで終わる。
どの人との関係でも、最後に大きな害を与えて終わる。
そうしないと落ち着かないのだろう。
われわれが自分の居心地のよい場所に落ち着くように、悪魔に憑依された人々は、虚偽と詐欺が自分の居場所であり、いつもそこに落ち着くのだろう。
どんなにペイがよい仕事でも、自分に合っていない仕事をすると、無理がたたって病気になる。
このように、「本質が人殺し、嘘つき」であるサタン及び彼の弟子たちにとって、真理は耐えられない環境なのである。
だから、どんなに聖書に明確に示されていることで、子供でも瞬時に理解できるようなことでも、いつまでたっても認めようとしないのは、その人の本質が虚偽だからである。
本質がそうである以上、われわれは彼らと一緒にはなれない。
早めに判断を下して、離れるべきである。
「話せばわかる」なんて人がいるが、無駄である。
予定論を信じられない人は、「救いは人間の業が半分である」と信じるような本質なのである。
教育で変わるものではない。
中華人民共和国がよい国になる可能性はゼロ。
指導者たちの本質が邪悪なので、滅びるしかない。
私は、教育の可能性を信じない。
何億回言っても予定論を信じない人は信じない。
「本質」が違う人を説得できるわけがない。