われわれの前には常に神の言葉が剣として立っている
(1)
この世界で最も強い兵器は、御言葉である。
神の言葉であるから、絶対である。
神がこうすると言われればそれをとどめる者は一人もいない。
なにせ宇宙にあるすべての物質を創造された方である。
小さなゴミのような地球の上にわずかの期間生きては死ぬ人間ごときが対抗できるようなお方ではない。
聖書では、「両刃の剣」と表現されている。
両刃だから、語った人のほうも傷つける危険性のあるものである。
やたらに御言葉を使って人を裁いている人はいずれそれと同じことをするようになる。
御言葉という基準は、公平に万人を裁く。
だから、自分を反省して「私は少しも立派なところがありません」と言うべきだ。
教会や裁判所で人が人を裁くのは、一方が他方よりも優れているからではなく、「神の秩序を維持するため」である。
「人間でしかない者が人を死に定めてもいいのか」という人は間違っている。
裁判官は、自分が正しいから裁くのではなく、「神に命令されてるから」裁くのである。
絶対者なる神が、人間社会に秩序を維持させるために裁判制度を定められたのであって、強い人間が弱い人間を裁くのでも、正しい人間が邪悪な人間を裁くのでもない。
この点を理解していない人が多い。
牧師が神の法について説くのは、自分が神の法を守っているからとか、正しいからとかではなく、「神が教えよと命令されたから」である。
牧師はいかに罪人であっても、神が語れと命令されたことを語る義務がある。
ラッシュドゥーニーは、「もっとも強力なマスメディアは教会の講壇である」と言ったが、牧師が講壇から語る御言葉の説教は、誰も打ち破ることができない最強の剣であるから、その影響力は絶大である。
牧師がどのような人間であれ、彼が神に命令されて語ったならば、それは、社会を不可避的に変える。
御言葉は、自分の前に立っている剣であり、自分がそれを受け入れて行えば害を与えないが、逆らえば自分のほうに倒れてきて自分を切り裂く。
自分のほうに倒れてこないようにするには、不断に悔い改めて、神の前に身を低くし、努力することである。
教師や警察官の息子に不祥事を起こす人が比較的多いと感じられるが、それは、教師や警察官が傲慢になりやすい職業だからだ。
商売をやっている人は常に身を低くせざるを得ない。客を馬鹿にしているような商売人はいずれ売り上げが減って店をたたまなければならなくなる。
教師とか警察官、政治家、裁判官など権威を持つ職業の人は、自分を低くする努力を不断に積まないと、いずれ神の裁きに会う。
神から与えられた職業だからこれらの仕事は必要なものだが、しかし、その立場を利用して傲慢になるならば、裁きが待っている。
(2)
「日本は他国に対して騙したりずるいことをしてきたから繁栄したのだ」というような批判をする人々がいるが、まったくの間違い。
この世界は最強の武器である神の言葉によって支配されている。
だから、神の言葉に反して行動する人は、その刃によって切られやすい。
だから不正をして金儲けなどできるはずがないのである。
そんなことをして金儲けができると考えているのは馬鹿である。
もちろん短期的にできるかもしれないが、長期的には無理だ。
ブラック企業とかあるが、馬鹿企業である。
そんな会社の社長は、自分の周りに次々と御言葉の剣を立てて自分の破滅の機会を増やしているような人々である。
アジアやアフリカから日本に商売に来ている人々と接するとよくわかる。
第三世界のまずしい国の人々は、ズルいことをやる傾向が強い。
アフリカとの取引では、2度までちゃんと金を払うが、3度目に払わなくなるとよく言われる。
友人の車のディーラーは、韓国人と20人ほど取引して金をまともに払ったのは一人だけだったという。
それもみんなクリスチャン。
こんな国民性でどうして豊かになれるだろうか。
信頼を裏切るようなことをしてどうして長期的に発展できるだろうか。
正当な代金を払うことを惜しむ人は、自分の信用を捨てているのである。
信用を獲得することは、何よりも難しいので、貴重な宝を溝にどんどん捨てているのである。
本田宗一郎から技術を学んだ韓国人が技術を学び終えたときに「自分たちでできるようになったからあなたはいりません。お帰りください」と言ったという話は有名である。
世界のホンダを敵に回したのである。
究極の馬鹿としか言いようがない。
中国や韓国が日本の代わりにアジアの覇権を取るとか、世界を支配するとか、妄想である。
国民性がやばすぎる。
国民性を見ないで今の経済だけで将来を評価することは絶対にできない。
アメリカもカルヴァン主義プロテスタントに支えられて信用を獲得してきたが、勤勉と誠実という土台を失いつつあるので、未来は暗い。
真面目に生きることを捨てたら、長期的に力を得ることを捨てたのである。
この世界は、キリストの王国であり、神の言葉がわれわれ一人一人の前に立っていて、われわれを切り裂く準備がある世界である。
これを否定するような生き方をすれば、ただ切り裂かれるだけである。
世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。(1ヨハネ2・17)
2013年10月10日
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