北一輝は共産主義者だったのか


北一輝は、私有財産の制限、華族制の廃止、財閥解体、普通選挙、言論の自由、農地改革、労働8時間制、義務教育制、基本的人権の擁護を唱えたが、彼はどうしても共産主義にしか見えません。

1.私有財産の制限はもちろん共産主義の主張ですね。マルクスやエンゲルスは「所得税の強力な累進課税、相続権の廃止、亡命貴族の財産没収、土地や銀行から工場などの国有化」を唱え、ソ連はそれを実行しました。

2.マルクス主義は天皇制同様、貴族制についても批判的です。「(マルクスは)出生と社会的地位との関連について皮肉たっぶりに論じ、出生による生得的な権利、すなわち貴族制の擬制を鋭く暴露している。(Marx-Engels-Werke, Bd.1,SS、2、S.310.348-9ページ)」(八木正、マルクスにおける階級論の生成(1)−その特質と問題点)

3.エンゲルスは普通選挙権を「労働者階級の成熟度の計測器」と呼んで推奨しています。
「有産階級は普通選挙権を手段として直接に支配する。被抑圧階級が、したがってわれわれの場合にはプロレタリアートが、まだ自己解放をなしとげるまでに成熟していないあいだは、彼らの大多数は既存の社会制度を唯一の可能な制度と認めるであろうし、政治的には資本家階級の後尾、その最左翼をなすであろう。しかし、彼らがその自己解放にむかって成熟するにつれ、彼らはみずからを独自の党に結成し、資本家たちの代表ではなく彼ら自身の代表を選出するようになる。だから、普通選挙権は労働者階級の成熟度の計測器である。それは、今日の国家では、それ以上のものにはなりえないし、またけっしてならないであろう。しかし、それでじゅうぶんでもあるのだ。普通選挙権の温度計が労働者のあいだで沸騰点を示すその日には、労働者も、また資本家も、どうすべきかを知るであろう。」(エンゲルス「家族・私有財産および国家の起源」マルクス・エンゲルス全集、第21巻、p172)

4.財閥解体は私有財産制の否定の延長線上にある政策で、GHQが実行しましたが、GHQの民政局に送り込まれたスタッフがニューディーラーでした。マッカーサーは彼らを「社会主義者」と呼びました。「ニューディーラー(New Dealer)とは、フランクリン・ルーズヴェルト政権によって展開されたニューディール政策を経験し、社会民主主義的な思想を持つ人々のことである。」(Wikipedia―ニューディーラー)

5.基本的人権の擁護も共産主義者が唱えています。スターリン憲法では「国民は労働、休息、教育、社会保障などの権利を持つ。信仰、言論、出版、集会、デモなどの自由を持つ。しかしこれらの自由は「社会主義体制を強化するため」にのみ与えられる。」と規定されています。共産主義は自称「民主主義」であり自称「言論の自由」擁護です。「1918年の憲法は、言論・出版等いわゆる自由権を中心として規定し、その実質的(物質的)保障に力点を置いて、これを勤労者の階級的権利として構成した」(コトバンク「ソビエト連邦憲法」)

6.農地改革も私有財産制の否定の延長でニューディーラー左派が行ったものでした。
「この本国の反日姿勢を後ろ盾に勢いづいたのが、GHQの左翼ニューディーラーたちだった。彼らは・・・矢継ぎ早に社会主義的政策を押し付けた。農地改革、財閥解体、労働組合法公布による労働運動の解禁、日教組の前進である教員組合の結成などを推進、この追い風を受けて、戦時中は弾圧されていた日本の左翼勢力が息を吹き返し、マスコミや教育界・言論界で大きな力を持つにいたった。」(前野徹著「日本の敵は日本人」財界社)

7.労働8時間制は社会主義労働運動を起源とするもので、マルクスが推進しました。「1日の労働時間を8時間とする制度。この制度を初めて確立したのは、オーストラリアのメルボルンの建築労働組合が1856年に締結した労働協約であるといわれている・・・カール・マルクスによって1866年に創立された国際労働者協会(第一インターナショナル)は、8時間労働制を要求して各国の労働者が運動を強化することを呼びかけた。さらに86年5月1日には、アメリカの労働組合が8時間労働制を要求して全国的なゼネストを行った。89年に創立された第二インターナショナルは、この日を記念して国際連帯の日(メーデー)と定めるとともに、8時間労働制を国際労働運動の共通要求として決議した。」

8.義務教育制と共産主義は密接な関係があります。
『共産党宣言』の第2章で「無償の義務教育」が唱えられてます。
ソ連では義務教育は共産主義教育の手段として重視されていました。「学校と家庭とを結ぶ環は、「父母委員会」である。一 九四七年に、文部省によってきめられた「小・中学校父母委員会規則」によると、「若い世代の全面的な発達と育成、すなわち基本的な科学への精通、道徳的資質の向上といった共産主義社会建設の課題を実施するためには、学校と家庭とのきんみつな協力が必要であり」 ( 第一条)このために「学校と協力する父母大衆の機関」が父母委員会である。その協力の内容( 第二条)は、a地域の義務教育の完全実施への援助、b親たちに教育的宣伝( ペタゴギーチェスコボー・ プロパガンディ)を行う。すなわち、学校と家庭での、子どもの共産主義教育の分野での基本的な要求を説明し、なっとくさせ、子どもの教育の責任を高めさせる。」(杉山明男、ソヴェト道徳教育の一考察―家庭教育と学校教育との関係から)
共産主義者は「基本的人権の擁護者」です。自称ですが。「ロシア革命ののち,1918年1月25日に採択された〈勤労・被搾取人民の権利宣言〉は,社会主義革命の人権宣言ともいわれるが,人間による人間のあらゆる搾取の廃止,社会の階級的分裂の完全な廃絶および社会主義的な社会組織の確立を基本的な任務として,土地を全人民の財産とし,地下資源,農園などの国有化を宣言し,自由国家の原理を否定する立場を明らかにした。」(世界大百科事典内のソビエト連邦憲法の言及)

9.渡部昇一氏によると、北一輝は共産主義者だったそうです。
「当時の右翼は、北一輝にしても純正社会主義を唱え、大川周明などのプログラムも共産党と変わらなかった。ただし、たった一つ、皇室崇拝である点で共産党と異なっていた。言い換えれば、皇室を柙し戴いている共産主義者だったのである。これならば日本人にも受け入れやすい。問題となったのは、この思想が軍隊の下級将校の中に入ったことである。
下級将校というのは大秀才の集まりと言っていい。学力は旧制高校から東大に行くルートの人間に比べても見劣りしない。体力、気力では絶対に上回っている。そういう人たちが、二十歳前後で鉄砲・機関銃を持った百人以上の部下を従えたのである。そして、その 部下となった兵士たちは、関東地方の連隊であれば東北からやって来ていた。東北は不況のうえに冷害に見舞われ、貧乏で飯も食えない状態だった。だから兵隊になって三食食えることをみんな望んでいるのである。その一方で、兵隊の家族の中には娘が身売りをしなければならないような貧しい家も数多くあった。
そうした兵士の話を聞いた青年将校たちは正義感に燃え、社会が悪いのだと思い込んだ。彼らは直接的には大川周明や北一輝の影響を受けたが、そのプログラムは共産主義者そのものだったのである。こうして共産主義的な武装蜂起が日本において起こることになっ た。」(『
日本史百人一首』)

10.北一輝は、表面的には天皇崇拝でしたが、内実はそうではなかったようです。
《北は『改造法案』において、革命が天皇の発意と指揮のもとに行なわれることを明記した。だがこれがあるふくみをもった擬装的表現であることは、寺田稲次郎の伝える挿話によって決定的にあきらかである。北が天皇裕仁を「クラゲの研究者」と侮蔑的に呼び、皇太子について「ちいさい癖に大きな自動車に乗って」などと口走ったというのは、話としてまだ序の口である。中野正剛が北をシベリア提督に擬したという話を寺田が伝えると、彼は色を変じて「天皇なんてウルサイ者のおる国じゃ役人はせんよ。そういってやりたまえ」と答えたという。これは昭和四年のことである。またこれは伝聞であるが、寺田が確実な話として伝えているところでは、北は秘書に「何も彼も天皇の榷利だ、大御宝だ、彼れも是も天皇帰一だってところへ持って行く。そうすると帰一の結果は、天皇がデクノボーだということが判然とする。それからさ、ガラガラと崩れるのは」と語ったという≫ (渡辺京二『北一輝』)

 

 

2018年2月22日



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