劣等感や妬みなどにエネルギーを使わない
人と比較して落ち込むというのは、悪魔に隙を作ることである。
なぜならば、弱気になっているので。
優秀な人を見て「自分はだめだ」と思う思考回路を作ったのは、自分の責任である。
優秀な人を見たら「僕もああなりたい。よし頑張るぞ」と思うべきである。
自分の目標を作って一心不乱に努力するようにわれわれは作られている。
そういう人に悪魔は攻撃しずらい。
自分で努力せず、他人をうらやむ人には、バンバン悪魔が攻撃し、中に入って心を占領しようとする。
悪魔に憑依されると、人を引きずり下ろすことに血道を上げるようになる。
人を引きずり下ろしても何もいいことはないのに。
相手も不幸になるし、自分も不幸になる。
他人への妬みや嫉妬を放置する人は、隙がありすぎる。
劣等感で気持ちを暗くする人も隙だらけである。
われわれは自分の心を防衛しなければならない。
いったんサタンに隙を見せると、何度もそこを攻撃される。
攻撃するうちに、心の城壁に穴があく。
敵はその穴を大きくしようとする。
自由に出入りすることができるまで広げる。
フリーパスで入れるようになったら、悪魔は、中に入って、われわれを利用していろんな悪事を行わせようとする。
妬んだ相手を傷つけるとか、評判を落とすために罠を張るとか、しまいには殺すとか。
最初が肝腎である。
妬みが起こったら「ああ、だめだ。こんなこと考えては。神様ごめんなさい。私はAさんをうらやみました。ごめんなさい」と悔い改める。
「頭に鳥が止まることは避けられないが、巣を作らせるのは自分の責任だ」という言葉がある。
鳥が止まって巣を作るのを放置しないために、何度もそのたびに悔い改める。
その訓練を積むことによって、うらやむことをしないという思考回路ができる。
私は、中学生のころ、オリンピックで、フィギュアスケートを見るのが嫌いだった。
なぜならば、あまりにも素晴らしい演技に「自分はなんてだめな人間なのか」と落ち込むからだ。
自分の心を治めることができなかった。
自分はフィギュアスケートをやってもいないし、やる予定もなかった。
まったく畑違いの人を見て落ち込むとか、今考えると馬鹿馬鹿しい。
「僕は、得意な分野で頑張ろう」となぜ気持ちを切り替えられなかったのか。
劣等感で苦しむのは、時間とエネルギーの無駄。
自分が得意ではないものについては、早々に諦め、関係ないと割り切るべきである。
そして、得意な分野で自分の技量を磨けばよい。
その分野で目標を定めて努力すれば、劣等感や妬みなど「負の感情」で人生を無駄にせずにすむ。
悪魔がやりたいことは、人間の尊い一生を「気を散らして」無駄遣いさせることである。
他人の目や評価、世間体、噂などで頭がいっぱいになっているならば、あなたは、悪魔に翻弄されている。
「どうやったら神の国とその義を実現できるか」に集中すべきだ。
雑音を一切耳に入れてはならない。
意志の力で追い出す。
要するに集中力である。
人が悪い評価をしたら、反省すべき点は反省して、落ち込む気持ちを「瞬時に」追い出すべきだ。
あなたがもし大切なものに集中せずに、悩んでも何も利益にならないことに悩んでいるならば、それは、訓練が足りないからである。
心をコントロールできるかどうかが、一生を有効に使えるかどうかを左右する。
2017年9月6日
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