天国も地獄もない?2
罪責から解放されるだけではなく、自分が行った善行に報いがある。
人生の目的は、神の国のために戦うことにある。
なぜならば、アダムは「地上をエデンの園のような場所に変える」ために創造されたからである。
エデンの園から流れていた4本の川は、世界を潤す聖霊の恵みを象徴している。
エデン山の中腹にあったエデンの園に置かれたアダムとエバは、結婚し、夫婦そろって門を出て、平地に下り、そこを神の御言葉にしたがって開拓するはずであった。
彼らの子孫が増えて、各地で御国を広げ、世界中を神礼拝で満たし、そこに聖霊が働いて、エデンの園のような豊かな環境が、世界中に広がる予定であった。
しかし、彼らはエデンの園で失敗したので、そこから追い出された。
イエス・キリストが十字架にかかるまで、人間は生命の樹から遠ざけられた。
イスラエルの幕屋及び神殿での礼拝で、限定的に(一年に一回、大祭司だけが)生命の樹(至聖所)に近づくことが許されたが、十全の祝福は味わえなかった。
その結果、世界には荒野が広がった。異邦人は神から遠ざけられ、悪魔に支配されていた。
イエス・キリストが人間に重くのしかかっていた罪の呪いを取り除かれた。
十字架においてその呪いを身代わりに受けた結果、人間にはもはや呪いが及ばない。
信じる者は、いつでもどこでも生命の樹から取って食べることができるようになった。
そもそも、信じる者の体の中に生命の樹がある。
なぜならば、新約時代において、クリスチャンの体は神殿だからである。
神殿は、神と契約的絆を新たにし、永遠の祝福を与える場である。(*)
クリスチャンが神の国のために働くときに、その業は、報いとして永遠に残る。
今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。(2コリント4・17)
主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたをパロに対して神とし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。(出エジプト記7・1)
モーセとアロンはパロのところに行き、主が命じられたとおりに行なった。アロンが自分の杖をパロとその家臣たちの前に投げたとき、それは蛇になった。
そこで、パロも知恵のある者と呪術者を呼び寄せた。これらのエジプトの呪法師たちもまた彼らの秘術を使って、同じことをした。
彼らがめいめい自分の杖を投げると、それが蛇になった。しかしアロンの杖は彼らの杖をのみこんだ。(出エジプト記7・10-12)
主はモーセに告げて仰せられた。
「イスラエル人に告げて、彼らから、杖を、父の家ごとに一本ずつ、彼らの父祖の家のすべての族長から十二本の杖を、取れ。その杖におのおのの名を書きしるさなければならない。
レビの杖にはアロンの名を書かなければならない。彼らの父祖の家のかしらにそれぞれ一本の杖とするから。
あなたはそれらを、会見の天幕の中のわたしがそこであなたがたに会うあかしの箱の前に置け。
わたしが選ぶ人の杖は芽を出す。こうしてイスラエル人があなたがたに向かってつぶやく不平をわたし自身が静めよう。」
モーセがイスラエル人にこのように告げたので、彼らの族長たちはみな、父祖の家ごとに、族長ひとりに一本ずつの杖、十二本を彼に渡した。アロンの杖も彼らの杖の中にあった。
モーセはそれらの杖を、あかしの天幕の中の主の前に置いた。
その翌日、モーセはあかしの天幕に入って行った。すると見よ、レビの家のためのアロンの杖が芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいた。
モーセがその杖をみな、主の前から、すべてのイスラエル人のところに持って来たので、彼らは見分けて、おのおの自分の杖を取った。
主はモーセに言われた。「アロンの杖をあかしの箱の前に戻して、逆らう者どもへの戒めのため、しるしとせよ。彼らのわたしに対する不平を全くなくして、彼らが死ぬことのないように。」(民数記17・1-10)
それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。
あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった――(申命記8・3, 16)
2015年12月16日
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