黙示録20章から、千年王国の記述である。
千年王国において、サタンは縛られている。
また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、
底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。(黙示録20・1-3)
キリストは、王である。
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。(マタイ28・18)
クリスチャンも王である。
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、「王である祭司」、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。(1ペテロ2・9)
キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。(エペソ2・6)
キリストもクリスチャンも王である体制。
すでに現在が千年王国である。
千年王国は未来にやってくるものではない。
「え〜!これが千年王国ですか?サタンの王国ではないですか?イルミナティの王国ではないですか?」
という人は、「法的事実」と「実際的事実」を混同している。
聖書において、キリストが「天地の最高権威者」宣言を出されたのはあくまでも「法的宣言」である。
当時キリストは、「実際には」世界を支配されていなかった。
もちろん、やろうと思えば一瞬で世界中に御使いを派遣して強制統治は可能である。
しかし、聖書の方法はそうではない。
支配とは「柔和」な人が行うものである。
柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。(マタイ5・5)
だから、創世記1・28の「地を従えよ」との命令は、「柔和になれ!」と同義である。
柔和とは英語でmeek、つまり、「謙遜」である。
「神の前に謙遜になれ!」と。
「地を従えよ」は「神の前に謙遜になれ!」と同義。
神の命令を守って、神の御心にしたがって動け。
クリスチャンが世界を統治する方法とは、謙遜である。
武力ではない。
教育と伝道である。
人を説得していく方法である。
だから、時間がかかる。
人に気に入られながら進む方法。
だから、クリスチャンの世界制覇とは、「市場原理主義」である。
「商品を買ってもらえるように、顧客満足度を高める」方法である。
それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。(ヨハネ13・14)
米国の宗教右派は、ディスペンセーション主義に犯されて徹底的に間違っている。
ディスペンセーション主義における「キリストの統治」とは、「再臨のキリストによる武力支配」である。
世界の無数にいる無神論者、イスラム教徒や仏教徒などを「抑圧的に支配する」。
彼らがイスラエルのパレスチナ統治を後押ししていることから明らかである。
今が千年王国である。
その証拠に、キリスト以降、サタンは縛られてきた。
それまで「諸国の民は惑わされ」ていた。
キリスト以降、諸国民に福音がとどけられ、ヨーロッパがキリスト教化され、世界がキリスト教化された。
今の時代、王権はキリストにある。
だから、サタンが暴れるならば、キリストの名によって「縛る!」といいなさい。
そして、「底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印する」といいなさい。
今が千年王国時代である以上、黙示録20・1-3の聖句を用いることができる。
彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間『縛って、底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印し』て、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。